北条時宗に学ぶ日本人の気概

こういう感じの本が売れていた(過去形)。内容は基本的に空疎だ。しかし売れる、ということは、書いた人の収入になっている、ということか。私は金は好きだ。金が私を嫌っているのか、あまりやって来てくれないが、やって来る分には拒まない。
というわけで、私もかいてみよう。『北条時宗に学ぶ日本人の気概』。これで私も億万長者だ。この国難の時代、時宗の生き方に学ぶ必要がある。
北条時宗がどんな人か。適当に自分の理想像を並べて「時宗はこうこうだ」などというのは、はっきりいって詐欺的行為だ。だから正確を期そう。
時宗にまつわる伝説をチェック。例えば時頼の鉢の木伝説。あれは、撫民政治家として地頭の苛政を禁止し、また京都大番役を軽減することで、御家人の苦労を軽減した時頼の姿を表したものだ。また各地に残る時頼遍歴伝説は、寺社の鎌倉幕府的体制宗教への改宗を行なったことの表象だ。以外と伝説はその人の人となりを表すものだ。というわけで時宗だ。『沙汰未練書』の編纂か。「理非」から「和与・多分の儀」に鎌倉幕府の裁判方針を変えた書だな。ということは、時宗は「理非」つまり正しいか間違いかではなく、「和与・多分」つまりみんなの顔色をうかがいながら、その場の空気を読んで決定するタイプの政治家だったわけだ。
日本人よ。北条時宗に習ってまわりの顔色を窺おうぜ。
と私は書いたが、決断というタイプではなく、こういういささか「軟弱」な政治家だったからこそ、幕府内を上手くまとめられた、というのもあると思う。もし彼が俗に言われるような豪毅決断型の人間だったら、亀山天皇に足元掬われて、朝廷主導のもと、「和親返牒」路線のもと、モンゴルと国交を樹立されていたかも。ただ亀山の和親返牒路線の実在性については議論の分かれるところだ。