あなたは何者だ?

教育実習生の10%がセクハラを体験したり、見聞したりしている、という調査があった。そのニュースに関するコメントを載せたブログを読んでいた。で、気になった。この人はどういう立場の人なのだろう、と。いや、だれでもいいんですけどね。筆者のプロフィールが全く書いてなかったので、何となく気になったのだ。いや、別にいいどころか、ネット上でプロフィールを書かない、というのは当然の行為だと思う。ネットの一つのメリットが匿名性にある。例えばそれを書いている人が高校生だったとしたら、私はおそらく「知らんやつが、偉ぶって」などと思うかも知れないし、逆に「東京大学大学院教授」などと書かれていて、しかも私が日ごろから敬愛している研究者だったりしたら「最高!!」などと思うかも知れないのだ。その点プロフィールが明らかでなければ、中身で勝負、先入観など入る余地もない。本来言論活動とはかくあるべしだ。当然セキュリティ面からも匿名は正しい。プロフィールに本当のことを書くことは危ない行為だ。
しかし気になってしまったのだ。別に明らかにせよ、とか言うつもりは全くない。しかし気になる。どう批評してよいのか困るのだ。
どういう内容なのか、といえば、この調査をやっている人がジェンダーフリーの研究者である、ということを批判的に述べた上で、学校現場に人権がない、と述べたその調査の内容にも批判を加えている、という内容だ。これを一口に批判すべきかどうか、一瞬立ち止まるのだ。
まずこの人は教育現場にいる人なのか、そうではないのか、で評価は割れる。教育現場にいる人ではない人が、教育現場の問題について論評を加えても、それは現場を知らない、という一言でおわりだ。ところがこれが現役の教師だったとしたらどうだろう。「教育現場に人権はない」という教育現場に対する批判に対して「そうではない」と異議申し立てをしたくなる気持ちはわかる。しかし一方で現場に人権が存在しない現状も見なくてはならないし、その意味では理想主義的すぎる、というそしりも免れないだろう。これが現場の管理職だとしたら、また評価は変わってくる。告発された当の主体が「オレは違う」といっても全く説得力はないのだ。確かに自分は違うかも知れない。しかしそのような現状が存在している、という事実に目を背けることは、現場を管理する側の人間には許されない。
このように、同じことを言っていても、書いている人の立場が違えば、それに対する論評も変わってくるのだ。いや、だからといって「明らかにすべきだ」などとは思わない。書いている人の立場を超えた論評が本来望ましいものなのだろうな、とは思うが、中々難しいものだ。などと書いていること自体がわがままなのだが。