アーミテージ氏インタビューを聞いて

今日のNEWS23で筑紫哲也キャスターがアーミテージ氏にインタビューをしていて、その最後が東アジア共同体に対するアーミテージ氏の懸念だった。東アジア共同体構想がアメリカの太平洋地域における影響力低下を企てるものではないか、という懸念なようで、なるほど、親米保守はこのようなアーミテージ氏の意向に沿って発言しているのね、と思った。小泉純一郎総理が靖国問題で中国側の神経を逆なでするのも、東アジア共同体を壊したいというアメリカの意向に沿っていたのかな、という勘ぐりをしたくなるのだが、それはともかく、アーミテージ氏の発言を聞いて思い出したのが数日前の産経新聞屋山太郎氏の主張だった。
屋山氏は東アジア共同体中韓にまきこまれるだけであり、そこからの離脱と、それに代えて米・豪を加えたアジア太平洋共同体を主張していた。それ自体は有り得べき主張であり、東アジア共同体が現在難しい問題になっている以上、米・豪にASEAN諸国を加えた共同体構想を打ち出すこと自体、現実的なのかも知れない。この問題について論評する能力は私にはない。ただ単独主義を基調とするアメリカが日本にここまで肩入れしてくれるかどうか、という問題はあるが。
ただ私が引っ掛かったのは、屋山氏が自説の説得力を増そうとして持ち出した論拠だ。氏はここで聖徳太子福沢諭吉に学べ、と言っているが、福沢はとにかく、聖徳太子はまずいだろう。福沢は別の意味でまずいが。私は福沢よりは勝海舟の方を推したいが。それはともかく、聖徳太子が中華圏から離脱しようとした、というのはかなり微妙だ。もし中華圏から聖徳太子が離脱をしようと考えていたのであれば、そもそも「大化の改新」はあり得ないだろう。大化の改新自体虚構だ、という説もあるが。それならばまだ筋は通るが。または大化の改新以降の古代国家の動きは全て誤っていた、という主張ならばまだわかるが。さらに「日本」「天皇」と言うもの自体すべて誤っている、というのであれば、屋山氏の議論も正しい。しかし屋山氏ならずとも私だって「日本」「天皇」の存在を全否定する気にはならない。一つはっきりさせておくが、「日本」というのは中華圏の東という意味であり、太陽信仰とは無関係だ。「日の本」「日本」というのは中世の用語では第一義に「東方」という意味でしかない。もう一つ、「天皇」という称号が「天皇大帝」の模倣であるのはもはや常識だ。いずれも中華圏の影響を抜きにして語れない。だから屋山氏は東アジア共同体構想を批判したいのであれば、福沢の脱亜論を論拠にするべきであったろうし、さらに言えば、別に先人に学ばなくても、あくまで現実の国際情勢から論ずることも可能だったのではないだろうか。安直に「歴史に学べ」という言葉で自己の主張を正当化するのは、逆にその論拠があやふやなことの証明にもなりかねないことを学ぶべきだろう。
歴史学研究者の社会的仕事というのは、こういういいかげんな「歴史に学べ」という主張を批判するところにあるわけだ。