地球に厳しい私

ガッシュ様とゆうか様のブログをのぞいたところ、ノーネクタイが話題になっていた。私もお二人の驥尾に付してノーネクタイについて論じてみたい。
官庁がノーネクタイ、ノー上着を推進するそうで、そもそも夏服・冬服を他人から言われてやるところがすでにおかしいのだが。暑けりゃぬぎゃいいし、寒けりゃ着たらいいだけの話で、何を今更、という感じもしないではない。そもそも何で6月1日に一斉なんだ?6月といえばまだ寒いこともある。上着を着たい時もあるのだ。逆に5月上旬は結構暑い日が続くので、逆にノー上着は当たり前、だと思うのだが。何で6月1日に一斉に、と決められねばならないのだ?そもそも衣替えは旧暦の4月1日、新暦で言えば5月初旬ではないか。日本の「伝統」ですらないのだ。しかも合理的基準すらない。
と一通り文句をたれたところで、塾業界と学界のネクタイ事情について。小学校相手の塾はあくまでも保護者の顔を見て商売をしている。親が最大公約数的に好ましいと思うのはスーツ姿だ。少なくともノーネクタイはまだ時期尚早だろう。というわけで、ネクタイはデフォルト。こ授業中は上着を脱ぐことが多い。結構暖房をきかすので暑いのだ。ただ私はこの二年間気管支をいためていて、風邪が命取りになりかねないので、上着を着て授業をする。生徒は「改まった感じ」をもつようだが、とんでもない、風邪対策。4月にはもうノー上着だ。授業をすると暑い。親の前だけだ、上着は。私は保護者対応をしないという契約なので*1上着は不要だ。
大学ではもっと単純だ。上着は不要。刑法に触れるような服装でなければ、別にどんな格好で講義を行なおうとも問題にはならない。さすがに全裸はまずい、という位のものだ。Tシャツなんてザラ。私はスーツ姿だ。ただし上着は着ない。暑いからだ。講義をしていると本当に暑いのだ。私はネクタイをしないと授業ができないので、ネクタイはどんなに暑くてもしてくる。ちなみに研究者には二通りあって、ネクタイをしないと授業ができない人と、ネクタイを締めると授業ができない人がいるようだ。私は前者だ。私より少し上の人はほぼノーネクタイ派。もっと上の世代になるとネクタイ派がおおいようだ。私と同世代はネクタイ派が多いかなぁ、という感じ。
で、私は基本的に上着を着る必要はないのだ。にもかかわらず上着を着る理由は一つ、電車の中で寝る時に風邪を引かないようにするためだ。夏風邪は最悪。直らない。だから寝具として利用しているのだ。だからノー上着、と言われると大変困る。

*1:それなりの研修を受けねばならない。私は以前いた塾で受けているが、そういうトレーニングを一切受けていない講師が圧倒的多数なので、私が今いる塾では保護者対応もしないし、電話にも出ないことになっている