日本が近隣諸国との関係をやり直すとするなら、どこまで遡るのがよいのか

冨平さんの提起。私は近世や近代の専門ではない。だから素人考えだ。ということをあらかじめ断っておく。
江戸時代の「鎖国」という認識にはもう一つの側面がある。それはあくまでも「西洋社会」との関係で議論されている、ということである。常識で考えればわかる話だが、江戸幕府は清とは通商関係を結んでいたし、朝鮮王朝とは国交を結んでいた。外国との関係を断ち切った、というのはあてはまらない。アジアとの関係が歪んだ、とすれば、それは近代社会のあり方にその原因を求めるべきだろう。
私はアジアからの留学生の科目を担当する時に必ず持ち出す素材がある。それは勝海舟だ。勝海舟といえば、明治維新ファンにはなじみの人物であるが、私が使うのは明治の勝海舟だ。明治時代の勝海舟が何をし、何を考えていたのか、今まであまり注目されることはなかったのだ。しかし近年、松浦玲『明治の海舟とアジア』(岩波書店)が出版され、また海舟自身が表した「氷川清話」が講談社学術文庫から発刊されてさらに手に入れやすくなった。
海舟は日清戦争に反対した人物として有名である。あの内村鑑三ですら賛成した日清戦争に反対した数少ない日本人である。彼の主張によれば、日本はかつて中国や朝鮮から多くの恩恵を被ってきた。その中国や朝鮮が西洋から侵略されて困っているのであれば、それを助けるのが恩に報いる、人間としての必要なことだ、といったのである。福沢諭吉の「脱亜論」とは正反対の思想だ。福沢の脱亜論は日本はアジアの悪友と謝絶し、西洋化せよ、というものである。この二人がある種対極にあることは理解されよう。
彼等の対極ぶりは田中正造による足尾銅山鉱毒事件でも際立っている。勝は田中正造を支持し、福沢は田中を批判した。福沢に言わせると田中のやっていることは国家の発展を阻害するものだ、というのである。こういう彼の姿をかつての彼の「学問ノスヽメ」や「文明論之概略」と比べて「転向」と見る向きもあるが、どうだろう。私は一貫していると思う。そもそも福沢の依拠する西洋の自由主義がそもそも西洋人の、西洋人による西洋人のための自由主義であることは明白だ。今日のアメリカ共和党の政策など、まさにそうだ。その意味で福沢は一貫しているのではないのだろうか。福沢的な発想が今日の日本を覆っている、と私は考える。
ただ、今日多く言論界で噴出しているナショナルかつ軽薄なものいいを福沢と同一視するのは福沢には失礼な気がするが、少なくとも日本国政府の現在の政策はよくもわるくも福沢的なものではあろう。それを評価するか批判するかの問題だ。
私が敬愛する故丸山真男氏は福沢ぼれを自称していた。私は福沢よりも勝ぼれだ。
ちなみに留学生の反応は、「勝海舟を知り、日本人に対する見方が変わった」というものであった。現在の反発の連鎖を解く時には福沢だけでなく、勝海舟を見直すのも悪くないかも、と思っている。