思いっきり生電話

●のもんた「どうしました」
相談者「はい、私は(自粛)大学で近代史を研究しているのですが、困ったことがありまして、みなさまのお知恵をおかりしたいと思いました」
み●もんた「ほう、どんなことですか」
相談者「私は(維新)県出身なんですが、この前佐幕派の藩出身の歴史学研究者とお話する機会が合ったんですが、私が(維新)県出身と聞くと、とたんに態度が変わったんです」
みの●んた「ほうほう、あれ、パネラーの大K保利謙さん、何を涙ぐんでいらっしゃるんですか」
O久保利謙「いやぁ、私も(自粛)に行ったら史料見せてもらえないですよ。私の祖父の利通が西郷隆盛を裏切ったとか言われて(泣)」
みのも●た「まあまあO久保さん、ここは相談者の方の嘆きをききましょうよ。で、何か困ったこととかあるんですか?」
相談者「別にないのですけども、いちいちそんな昔のことを蒸し返されても、こちらも不愉快ではないですか。謝罪せよ、などといわれても私が(佐幕)の人々を抑圧したわけではありませんし」
みのもん●「そうですよね。しかし、過去のことを蒸し返して、偉そうにする困った人ってどこにでもいるんですね。確かにあなたが幕府をつぶしたわけでもありませんからね。ところで、パネラーの砂沢Tニタさん、あなたも何かそういう体験があったんですよね」
砂沢チニ●「私の場合は逆ですよね。私はアイヌなんですけど、和人の男が『アイヌに対する過去の行為を謝罪したい』とか言ったんですよ。私はブチ切れまして『それなら、ここで首つってみて』って言った事があるの。そしたら青ざめちゃって黙り込んじゃった。アイヌであることは否定しないけど私は私と思っています」
●のもんた「なるほど、オレは何々人である以前にそもそも「私」という人間であることが大事なんですね。お、パネラーのM台真司さん、何かいいたげですね」
宮●真司(仮名)「ニーチェは『人間は意味がないから良き生を生きられないのではなく、良き生を生きられないから意味にすがるのだ』と言いました。そのような『意味』にすがる人間を彼は弱者と呼び、キリスト教文化の中で『意味』がなくても生きられる強者を憎む、ルサンチマンに満ちた弱者が培われてきた、と言いました。さらにフロムやアドルノは、権威主義者とは弱者の別名であるという『権威主義的パーソナリティ』の定説を生み出しました。つまりこうした発想は思想史的常識に属するものなので、論争には値しません。せいぜい暇な時に教員的になだめ諭すしかない。相手はいわば半人前、ないし、端的に子供なのです」
み●●●た「つまり、日本人であることや●●人であることに『意味』を見出して、それを前提にしてしか物事を話せない人っていうのは端的に子供だと言っていらっしゃるわけですね。この場合、過去を蒸し返して『長州』だ『会津』だ『大久保利通』だとか言っている人は子供だということですね。では一旦コマーシャルを入れますからね、電話はそのままにしておいてくださいね」
この物語はフィクションであり実在の人物・事件・団体等とは一切関係はありません。
参考文献
飯部紀昭『アイヌ群像』(お茶の水書房刊)ISBN4-275-01571-1
戦争論妄想論』(教育史料出版会)ISBN4-87652-366-5