私は文系人間

言うまでもなく私は文系人間だ。理数系が全く出来ない。理科の生物分野はまだ何とかなる。地学も計算がなければなんとか。物理・化学はお手上げ。数学は「数が苦」だった。赤点ももらったしな。別に優秀な学校でもなかったのに。子どものころはエビ博士になりたかった。算数で挫折した。電車の設計にも携わりたかった。算数で挫折した。文学部くらいしか入れそうな学部がなかったのだ。経済学部にいったら苦労するのは目に見えているしな。法学部は一応すべり止めで受けてみた。落ちたorz。というわけで私は文系人間だ。しかも帰宅部だ。高校時代は鉄道研究部だったが、部員がいなかったので、部長といっても幽霊部長だったのだ。体育会系か文化系かという括り(帰宅部は文化系とはいわないか)でも、理数系か文科系かというくくりでも私は根っからの「文系人間」なのだ。
で、気になる記事を見つけた。引用する。

俺は文化系人間が嫌いです。本当の力も無いのに、さも自分の力と勘違いし、感覚的なものをだけを振りかざし、それによって被害が発生した場合に、さっさと逃げてしまう人間があまりに多いからです。(朝日新聞などがその典型)

うん。耳に痛い。私は文科系人間だから。「感覚的なものをだけを振りかざし」と言われると、「理系人間の文系観ってこんなもんか」と悲しくなる。そういや私の高校時代も文系は蔑まれていたな。
で、ひがみっぽく、性格の悪い私は粘着したくなるのだ。
上記の文系人間批判は次の文に続くものである。

今朝のスポーツニッポンには、このような記事が掲載されています。「・・・再開一番列車の運転台に乗り込んだ垣内社長は、マスコミを意識したように、『信号良し』などの声を出していた。・・・」この記事を書いた人間は、鉄道のルールをまったく知らないものです。運転台に、運転手以外の社員が添乗した場合、その職責にかかわらず、全てが安全確認動作を行うことが義務付けられており、これに違反したものは、処分の対象になります。(社員以外が業務などで添乗した場合は、この限りではない・・・ルール、基本動作、確認方法を知らないから)これは、社長も同じです。だから、垣内社長が行った動作は、マスコミを意識したものではなく、JR社員として行わなければならない当然の行動なのです。

これが実際に書かれていたものであれば、私もこの記事は問題だと思う。しかも、マスコミ誌上では専門性をわきまえないいいかげんな議論がまかり通っていたことを考えれば、氏の批判もむべなるかな、である。当該部分を引用してみよう。

垣内社長はさらに、発車や信号が近づいた際、運転士とともに、右手で前方を指さしながら「信号よーし」「発車よーし」などと発声。これに大阪支社長らも追随し運転室の5人が一斉に右手を前方に突き出す場面も。事故現場では、線路脇で待機する南谷昌二郎会長ら同社幹部とともに一斉に敬礼。取材陣を意識したパフォーマンスとしか思えない姿だった。

おわかりだろうか。微妙にニュアンスが違う。この記事を全文引用するのは難しいが、これはJRの幹部5・6人が運転室に入っていることに関する記事なのだ。安全確認動作について云々しているのではない。ただスポニチの書き方に問題があるのも事実だろう。上記のような「誤解」を許す余地はあるのは事実だ。ちなみに私が引用しているのはスポニチアネックスだから、紙媒体のスポニチとは異なるのかもしれない。で、私はもし紙媒体のスポニチにこれが書かれていても驚かない。マスコミが「鉄道のルールを全く知らない」でいいかげんな記事を垂れ流していることは事実だからだ。
ただ私が問題にしたいのは氏の「誤読」ではない。氏は「曲解」しているのだ。氏の議論を見ておこう。TBSの番組を「もともと嫌いな番組だが、今回の事故では無茶苦茶な批判を繰り返し、お茶の間の無知な主婦層に、自らの作り上げた虚構情報を刷り込んでいくような番組作り。もう、頭にきて仕方が無い。」と批判した上で、最後の締めである。

スポニチもTBSも、どちらも毎日新聞系である。どうも、筑紫哲也を深夜ニュースのキャスターに選んだあたりから、毎日系は異常なほどの左傾化をしており、マスメディアを通じた情報操作的な洗脳報道が多いような気がしてならない。はっきりここで宣言します。このような、著しい間違った報道がなされた場合には、ここで積極的に暴いていきます。それは、そのような事を知りうる立場にあるものとして、偏向された報道により間違った認識が広がる事を懸念するからです。

氏がなぜあのような「誤読」をしたか、明らかであろう。氏は最初からTBSと毎日新聞を非難したかったのだ。さらにいえば、この事故に便乗して「左翼」批判をしたかったのだ。だからターゲットは朝日であり、毎日なのだ。せっかく良い視点を出してJRのあり方も、マスコミのあり方も批評していたのに、ここでだいなしだ。JR事故に関する認識のゆがみには政治性は関係がない。右傾マスコミであれ、左傾マスコミであれ、明らかに誤った知識を元にして記事を書くこと自体が問題なのだ。それを闘争相手を「左傾化」したマスコミに限定してしまったことで、今までの素晴らしい記事すらあやしいものになってしまった。
私は自分の立場をはっきりしておく。私は左翼的に偏向しているのは事実だ。だが、左翼であれ、右翼であれ、正しい知識に基づき議論しているものには謙虚に教えを請う。逆に明らかに誤った事実を元にして組み立てられた議論には断固として批判をする(かげで)。
で、いつもの立場だが、私はこれをそのブログ主の目に触れるところに置こうとは思わない。ブログのコメント欄には「左傾のみならず右傾マスコミも含めたマスコミの過ちを暴いて下さることを期待しています」と励ましのコメントをしておいた。もちろん期待しているからだ。氏のブログは非常に私には参考になった。敬意を抱いている。それだけに自分が「偏向」していることに気づかない無邪気さが気になった。とはいってもこれを氏に求めるのは木によりて魚を求むるがごとし、という体のものだ。あまり意味があるとも思われないのも事実である。
なら、なぜ書くのだ、といわれそうだが、これは何度も言っているが私にとって素材なのだ。だからこれで氏が考えを全面的に改められても面白くないのだ。ただ氏のブログは私のブログなどとは違って本当に必要なブログだと思ったので、その点の期待も込めてコメント欄に足跡を残させていただいた。億に一でもこのブログを目にする機会がありましたら、「だからオレは文系人間がきらいだ」とおもっていただいて構いません。基本的にはスルーして下さい。
で、ご本人様が見ていないことを前提に他山の石として、レポートを書く学生諸君に学んで欲しいのは、最初のところで「俺は文化系人間がきらいです」となっているでしょ?この人ちなみに他のところの一人称代名詞は「私」なのですが、ここだけ「俺」なんです。多分頭に血が昇ったまま、「感覚的なもの」で一気に書いてしまったのだろうな、と思います。レポートでこれをやると致命的です。なぜなら、レポートというのはあくまでも「客観性」をどれだけ装えるかが勝負だからです。馬脚を現すような、こういう書き方は気をつけて下さい。もっともブログではこういう方が臨場感があって、読む方も楽しいので、いいんですが。あくまでも他山の石ということで。
そうそう、「そのような事を知りうる立場にあるものとして、偏向された報道により間違った認識が広がる事を懸念するからです。」の部分は、私も見習いたい姿勢だ。私も多くの偏向した報道により間違った認識が広がっているのを目の当たりにしている。ただへたれなんで、及び腰だ。