金本知憲の怒り3

近ごろの若い学生は全く勉強もせずに一丁前に物事を論じている。私が若い時には一日八時間の猛勉強を己に課して二十年。本は年間数百冊は読破した。これでもまだ少ない、と言われながらも一生懸命に先輩方に追いつこうとしたものだ。書籍代も月数万円はかけた。それでも私の先輩よりも少ない、と言われたものだ。とにかく必死だった。今でもそういう日々を送っているからこそ、私は物事を論じているのだ。それだけの勉強を最近の若者たちはしているのか。*1
以上の文を読んで不愉快になる人は多いだろう。そこから金本選手のマスコミへの怒りの内容も分析できると思うのだ。
サンスポとデイリーの記事の中で特に気になるのがデイリーの「広島時代を思い出せば、日が暮れるまでグラウンドに残った記憶がよみがえる。それぐらいの努力をして、勝ち取るからこそレギュラーに意義がある。」の部分。
金本選手自身は広島時代の自分を一切引き合いに出していないのがわかる。しかし記事では広島時代の自分を引き合いに出しているのだ。我々ファンの目から見ると、広島時代の金本選手の努力は頭が下る。そして若手に対して広島時代の自分を引き合いに出して叱咤激励したとしても「金本はおごっている」などと思う人はいないだろう。
しかし金本選手的にはそれは違うのだ。金本選手は自分の努力を人に押し付けようという気はさらさらないのではないだろうか。自分は自分、人は人。もちろんアドバイスを求められたら自分の体験を語るだろう。そしてそれを参考にしてもらおうとはするだろう。しかしマスコミの記事は下手をすれば、金本選手が上記の自慢話みたいなことをしている、というようにも取られかねない。金本選手がマスコミに激怒したのはそういうことではなかったか。
我々ファンはある種色眼鏡で物事を見る。だから金本選手の発言に関しても「我々」ファンはその真意がわかるものとして、処理している。ところがそもそも金本選手が誰かもわからない「外部」の人には、どのように取られるかわからないところもあるだろう。金本選手はそれをいやがったのかもしれない。
私はもちろんその場にいた人間ではない。金本知憲という人物がどんな人間なのかも知らない。しかし金本知憲選手の声だけを拾って丹念に読むだけでも、そしてテレビなどで出演する金本選手の言動を見ても、さらにインタビュー記事などを見ても、金本知憲という人間が目指す人間像は、マスコミが要求する「アニキ」などではないことは明白である。むしろそのような人間像を拒否しているとすら見えるのである。金本選手自体「アニキ」という愛称を嫌がっているということを仄聞する。頼れる「アニキ」像から金本選手を解放するべきであろう。それが人間金本知憲を遇する道であると思う。
次回は七月三日に球場に現われる長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督の虚実に迫りたい。あくまでも材料はスポーツ新聞、テレビでの発言などである。

*1:これはあくまでも例。私とは関係ありません。