トリビア教師

甲陽学院中学の問題。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』。私は無知なんで、レイチェル・カーソンと言えば『沈黙の春』しか知らない。で、問題の中で「この文の題名にふさわしい言葉を文中より五字以内で抜き出しなさい」という問題があった。知らなければ結構難しい。ただ文を注意深く読めば、気が付かないでもない、という問題。しかしこれはレイチェル・カーソンの『沈黙の春』くらい知っといてくれ、という甲陽学院中学の要請だろう。で、こたえられたヤツはいない。まあ仕方がない。しかしここでいたずら心を出して聞いて見た。「レイチェル・カーソン知っている人」。一人が手を挙げる。をいをい、んなわけねーだろうが。『沈黙の春』を知らずにレイチェル・カーソンを何で知ってるんだよ。
成績のいいやつは時々そういうことをする。自分が知らない、ということが悔しいのだ。こういう生徒って教師を小ばかにしたところがあるから、教師が知っていて自分が知らない、ということが悔しい。だからこういう成績の図抜けた、少しばかり生意気な生徒には、こちらの「豊富な」トリビアを見せつけるのが吉だ。私は子どものころからトリビア的な無意味な知識を頭の中にためこむのが趣味で、周囲から呆れられていたが、今や塾講師としての私の最大の武器と化しつつある。成績はいいが、少し教師を小馬鹿にする生徒も私の前にはひれふす。ちなみに勉強の本筋をいくら知っていても、生徒もそういうところは詳しいので、中々勝負がつかないので念のため。絶対に受験では出ない、というしょうもない知識が有効だ。しかしあまりにも無関係のネタ、例えば野球のネタとかは効果はない。生き物の飼い方、とか、歴史上の人物のエピソード、とか、あとは大学の講義で使ったネタを使いながら、問題文の揚げ足を取るとか。特に最後の手段は有効だ。これだけで尊敬のまなざしで見てもらえる。見る目が変わる、というか。
役に立たない知識を頭の中にため込んでいて、それを一方的にひけらかしたい人には塾講師、特に受験専門塾の講師はお勧めです。ちなみに大学の講義でそれをやっても効果はありません。大学生はそもそも聞いていません。たまにそういうネタだけ聞いているヤツもいて、これはこれで大変困るのですが。