第二の尊氏第三の尊氏

これは吉川英治私本太平記』中の足利尊氏の言葉である。後醍醐天皇と語り合う尊氏の言葉である。もし尊氏を倒しても第二の尊氏、第三の尊氏が出てきて幕府を作ろうとするだろう、という見通しを後醍醐に述べる。後醍醐が返す。「第二の後醍醐、第三の後醍醐が出てきて云々」と。それに対して尊氏は「時勢に暝い」と後醍醐を嘲笑する。
吉川英治が執筆した当時はマルクス主義歴史学が大流行していたから、吉川英治自身もかなり松本新八郎の「南北朝内乱封建革命説」に依拠していたのだろう。今ならば後醍醐の言葉の方が真実味を持って胸に迫ってくる。「朕が倒されても第二の後醍醐、第三の後醍醐が出てきて朕の意志を継ぐであろう」
圧倒的な武力を持って日本を制圧しようとする武家政権。それに抵抗する人々は後醍醐を担いで徹底抗戦をする。アフガン、もとい吉野の山奥で隠れながら武装蜂起を煽る。しかも組織的な戦いではないから「サーチ&デストロイ」などという甘っちょろい戦闘は通用しない。ビンラディンもとい、後醍醐は右手に銃、もとい剣を、左手にコーランもとい法華経を持ちながら「肉体はアフガン吉野の苔の下にうずもれても魂は常にアメリ京をにらんでいる。もし命に背き、義を軽んじれば、天皇とも臣下とも認めない」と遺言をしてテロの続行を銘じる。米軍、もとい高師直率いる足利軍は大規模なテロ、もとい楠木正行武装蜂起の後に本拠の吉野を制圧し、後村上をさらに奥地に追いやったが、激しいインティファーダに出会い、挫折。その後もテロ行為は止むことはない。結局六〇年間、体制に不満を持つ人々に担がれる形で残存し続け、最終的に憎悪と暴力の連鎖を断ちきる体制内に取り込む形で収束せざるを得なかったのだ。憎悪の連鎖を断ちきる、という解決策を甘い、という人も多くいるようだが、私の意見だが、徹底したサーチ&デストロイでテロを押さえ込める、という意見の方がよほど甘い意見である。「テロ」が一部の狂信的な左翼的な人間が行う日本の極左テロみたいなものであれば、サーチ&デストロイも有効だろう。それは日本の極左テロが社会から完全に遊離したものだったからだ。七〇年代の多くのテロも同じ図式だ。現在の「テロ」はそれほど根の浅いものではない。もっと深いものなのだ。
というわけで新幹線に乗るの、いやだな・・・。