どら様にお答え致します2

どら様より以下のコメントをいただいた。

さらに少し疑問があるのですが、“公立中学から公立高校のカリキュラムがうまくない”のは、
1全体として進め方が遅い(我々の頃にもあったこと)。
2公立中学のカリキュラムがそもそもプアで公立高校で追いつくことが出来ない。
3公立高校のカリキュラムもプアで大学入試対応できない。
のどちらに近いのでしょうか?
そもそも大学入試は、公立高校のカリキュラムを基にしているので、3ではありえないと思っているのですが。
もし、1だとしたら昔とあまり変わっておらず、地方や東京の公立を選択して浪人と言う選択もありだとおもいますが、そうではないのでしょうか?

概略はコメント欄でお答えしたが、全く舌足らずなので新たに稿を起こす。
まず1であるが、公立中学から公立高校のパターンが東大・京大入試において不利に働く事情であるが、123全てあてはまる。
1 進め方が遅い。これは公立中学が東大進学を究極目標としていないから当然のこと。この点で公立中学・公立高校を非難するのはお門違い。様々な理解度を持つ生徒を一様に指導していくのが公立校の使命である。
2 上に同じ。もう一つ深刻な理由がある。それは内申書である。一発入試で人生を決めるのは酷だ、という美名のもと導入された内申書で、教師は生徒の生殺与奪を握ることとなった。ここから様々な問題点が出てくる。私の狭い体験で言えば、高校進学指導とは、内申書対策にほとんどを費やす。
3 ありえない、というご意見であるが、大学教育にも携わる身として言わせていただくと、大いにあり得る。公立高校でも地方の進学校であれば当然対応はしているだろう。公立高校が全てダメだ、というわけではない。むしろ地方では私立高校よりも公立高校の一番手の方がいい受験指導をしているだろう。内申書問題をクリアすれば、地方で一番効率良く東大に行けるのは地方の一番の公立高校を出ることだ。しかし例えば兵庫であれば、公立高校から東大というルートもあるが、圧倒的多数は灘から東大・京大であろう。大学入試は高校のカリキュラムの高度な部分で構成されている。多様な成績の生徒のいる公立高校では、大学入試に必要なスキルを身に付けられない、という事情がある。選抜試験は言うまでも泣く落とすために存在するので、重箱の隅を突くような出題がなされるのだ。あるいは京大の英語とか見ればわかるが、読めないよ、というような問題が出る。進学校(公立・国私立問わず)においてはそういう問題を読む訓練をしているが、多様な成績の生徒がいる高校ではいうまでもなく、無理である。
ちなみに浪人する選択は当然あり得る。一年棒に振る決意があるならば。私自身浪人で、浪人時代に自分の基礎を固め直したことが今の自分につながっている、という気持ちはある。私は現役時代あまりまじめに勉強していなかったので、よけいそう思うのかも知れない。これは価値観の問題で、一概には言えない。しかし現役で行けるに越したことはない。ちなみによく言われる話だが、宅浪(予備校に行かずに浪人すること)は止めた方がよいと言われる。大学受験にも中学受験と同様にテクニックがあり、そのテクニックを知らずに大学受験をするのは危険だからだ。
あと受験産業と学校の結びつきは意外なほど強い、ということも挙げておく。私が滋賀県の塾に勤務していた時、しばしば県下の私立中学・私立高校の先生が訪れていた。優秀な生徒を回して欲しいのだ。今でも私立中学の先生はよく挨拶に来るし、こちらからも挨拶はする。
まあ「民間にできることは民間に」という小泉政権のキャッチフレーズもあるし、受験産業の存在感は今後さらに大きくなるだろう、ということだ。
ちなみに私は「塾講師」かつ「大学講師」*1なので、思いっきり受験産業の当事者です。そういうことを念頭においてある程度割り引いて読んでいただくようにお願いします。

*1:どちらも非常勤。分かりやすく言うとバイト