国語低迷の原因

前回、母親に見てもらって、国語最下位転落、という事例を紹介したが、なぜそうなるのか。もう少し掘り下げてみたい。
以前私のところに質問に来た生徒がいた。国語で質問ってほとんどないのだ。社会では時々受けるが、国語ではほとんどない。たまに来ても「先生、ここのところ××となっていますが、△△ではないですか」「ああ、そうやね。間違うてるわ、直しといて」以上終了、である。しかしその生徒は内容のある質問をしに来た。ただ問題は・・・、はるか先にやる予定の問題なのだ。勝手にどんどんやっているのである。我流の極み。私は我流を排するために先の問題をどんどんやることを禁じている。だからそれを指摘しようとしたとき、異様な書き込みを目にした。「ここのところを聞いてくること」明らかに母親の筆跡だ。多分自分で指導していて、その問題がわからなかったのであろう。
こういうのは困るのだ。そんな数ヶ月も先のことをやって、塾の授業はどうするつもりだ。予備校とは違い、中学受験の基本は復習重視である。多くの塾は予習をやらせない。予習重視の塾は、かなり親の負担が増える。小学生にいきなり受験レベルの問題が解けるわけはないからである。授業で解かせて、ほとんどわからないところで、受験のテクニックを教える。テクニックを知れば、あっというまに解ける。こうやってテクニックを身に付けるのだ。そのテクニックは多くの場合、受験に特化しているので、普通は身に付かない。当然中学受験のプロではない母親にはテクニックを身に付けさせることはできない。その母親が中学受験のプロであれば別だが。困るのは、我流でやった揚げ句、そこそこ成績を残し、できた気持ちになってしまうことだ。国語は往々にしてありうる。しかし正しい解法を身に付けないと、安定した成績は残せない。国語も中学受験のルールにしたがって問題が作成されているからだ。
基本は文中に書いてないことを書かない、ということにつきる。方言に関する文章。筆者の金田一春彦は方言に比べて共通語の弱点を、共通語は東京の言葉を基本にした人工語であるがために、たとえば新潟と比べると、雪に関する語彙が少ないことに求めている。で筆者は何がいいたいか、というと、地方の豊かな語彙を取り入れるべきだ、と主張している。その例として「尾根」という言葉がある、という話なのだが、生徒に述べさせると「方言に比べて共通語は暖かみがない」と答える。どこにそんなことが書いてあるねん、というわけだ。