靖国問題を考えるために

いやあ、畏友ガッシュ様とガッシュ様のご友人のdai様の間で楽しい討論が繰り広げられていて、私も差し障りのない範囲で参戦。
靖国問題を論じる際に私が考えているのは、まず中韓の心情に配慮すべきか否か、という問題だ。特に靖国参拝を反対している人に問いたいのだが、もし中韓が「靖国参拝OKっす」と言ったら、どうするのか、ということだ。中韓が「OK」と言い、その結果行なわれるであろう内閣総理大臣公式参拝はOKなのか。そんなことあり得ない、と思われるかも知れないが、しかし現在中韓靖国問題で騒ぐのは、騒ぐことに意味があるからだ。日本に譲歩を求められるとか。ただ反日デモで威信が傷ついた中国としては騒ぎづらかったようで、意外と小規模でおわりそうだ。もう一つ中韓にはメリットがある。小泉総理が適宜靖国参拝をしてくれるおかげで、貧富の差の拡大に悩む「赤い新自由主義国」中国の国内の憤懣をナショナリズムでガス抜きすることが出来る。新自由主義者、たとえばサッチャーレーガン、そして小泉が例外なくナショナリズムを動員するのと同じことである。韓国側の事情は支持率低下に悩むノムヒョン政権にとってのカンフル剤である。支持率が低下した時には排外主義に頼るに限る。だからこの二国が騒ぐのは当然であり、それを非難するには当たらない。彼等はそれが国益につながるから行なっているのであり、非難したり、同調したりする必要はない。端的に言って国際政治のリアリズムに無知な人ほどそういうものに反応する。
小泉政権の対応であるが、中韓のリアリズムに対して小泉のロマンティズムを論じる意見もあるが、私はその見方は取らない。小泉政権もリアリズムで動いている。小泉政権にとっては、新自由主義的政策によって開いていく一方の貧富の差(特に竹中平蔵大臣はフラット税制、つまり全ての人から同じ税金を徴収する政策提言で大学教授時代から知られていた人物だ。これはとりもなおさず小泉政権以降の税制改革の方向性になるだろう。つまり金持ちには大幅な減税、貧乏人には大増税。ちなみに橋下弁護士は貧乏人の収めている税金など高が知れている、金持ちの努力で今の日本があると言っているそうだ)による不満をナショナリズムで解消する必要があり、その意味では日本もまた靖国参拝嫌韓・嫌中思想で不満をそらそうとしているのだ。嫌中嫌韓思想を声高に叫んでいる人々は反日デモをしている韓国民衆・中国民衆と同じである。
靖国参拝問題に対する私の意見だが、私は英霊の政治的利用に反対である。ちなみにA級戦犯分祠問題だが、これも反対である。靖国神社が「A級戦犯はまつりたくないっす」と言うのは靖国の自由だ。しかし靖国神社に対してA級戦犯を分祠しろ、というのは政教分離の原則に則しておかしい。考えても見ればいい。A級戦犯だけどこか別のところに放り出された遺族の感情。国家のために我慢しろ、というのか。小泉自民党総裁は総裁選で橋本派の票田であった日本遺族会の票欲しさに靖国参拝を公約とした。これは政治利用以外の何者でもない。自民党の権力争いにまきこまれ、外交問題にされ、バッシングのネタになっている英霊の遺族たちの心情を慮ると胸が痛む。だから政治的利用にならない参拝をしてほしい。それだけだ。小泉首相はどう考えても政治利用しか考えていない。彼は骨の髄まで政治家で、あらゆることを政治に結びつけて行動する。その意味では優秀な政治家であるのだ。小泉総理が個人的な心情で「こころをこめて参拝しているだけでなぜ騒ぐのか理解できない」という人は小泉総理を矮小化しすぎている。彼の政治家としての能力はそんなに低いものではない。小泉総理は自身の談話で無知なふりをしているだけである。そして参拝賛成派も反対派も小泉総理をイノセントでピュアな人間だと勘違いしているのである。自身のイノセントでピュアな心情を小泉純一郎という天才政治家になぞらえてはいけない*1。小泉総理は明らかに対中韓カードとして靖国参拝を使っているのである。今回外務大臣麻生太郎氏、官房長官安倍晋三氏を任命したのは、靖国問題を徹底的に利用することを宣言したものである。来年は三人そろって8・15に参拝するのではないか。そのことによって1972年の田中角栄元総理の業績と1978年の福田赳夫元総理の業績を一気に粉砕し尽くすことが出来る。田中角栄につながる政治勢力は完全に粉砕され、続いて自分の目の上のたんこぶであった福田赳夫につながる政治勢力も破壊する*2ことで、小泉派の政治勢力を圧倒的な力にすることができるのだ。靖国神社はこういう時に使える最強のカードである。実際小泉総理が靖国神社に参拝すると内閣支持率が上るのだ。政治的利用は確実に成功している。政治史に無知な人ほ儀礼に含まれる政治的意味を見のがすものだ。たとえば昔の政治史などでも権力者の神社参拝を「神社いじり」などと評し、政治からの逃避と評していたものだ。とんでもない話であって、宗教は政治的カードなのだ。御成敗式目の第一条も神社仏閣項目だ。小泉総理も靖国問題を極めて有効に利用しているのだ。この点を落として靖国問題を論じても、議論は深まらないだろう。小泉総理の靖国参拝に対する賛否は、こうした靖国の英霊の政治利用の可否である。
最後に靖国神社が体現する思想の問題。これは私の個人的思想とは相いれないのであるが、靖国神社が宗教法人として存在する限り、私如きがあれこれ言うのもどうかと思う。そこは個人的な意見ということでスルー。
あとガッシュ様の無宗教の国立墓地構想。「無宗教」という言葉の使い方がいささか気になるのだな。間違えている、いない、の問題ではない。概念のズレだ。「無宗教」を私みたいな徹底した唯物論者的に把握するというガッシュ様の考えは、厳密な定義づけだ。でコメント欄にあったmoomin630様の意見は「無宗教」概念をもう少し広げた概念だ。概念を定義した上で論じることが必要だろう。ちなみに私の父親の遺言は「死んだら火葬場で燃やして、遺骨は燃えるごみの日にでも出しておけ」というものだった。ちなみに墓地を買うとか、葬式をする、ということは厳禁だ。こういう極端な人間はそうはいないだろうから、「無宗教」という概念は広げた方が有効かな、とは思う。

*1:ただhide問題は彼自身の純粋な気持ちだったのだろうな、と思う。そういうところがまた支持を集めるところであるのは事実だ。しかしあれも計算していたら、本当に天才だ。

*2:福田康夫官房長官の処遇はそれを表しているのだろう。福田氏は今や反小泉の筆頭だろう。