塾講師が生徒を刺殺3

容疑者が通っていた同志社大学の問題について検討したい。
萩野裕容疑者は同志社大学に在籍しており、2003年に強盗致傷容疑で逮捕起訴されており、執行猶予付きの有罪判決が出されていた、という。それに対し、大学は停学処分を課し、直後の11月に塾講師のアルバイトを始めた。大学側はそれを知らなかった、というのだ。
この問題に関して、「処分が甘い」という声も散見されるが、私の感想を言えば「危機管理が甘い」である。この問題に関して並べられるのが、原爆慰霊碑の折り鶴を燃やした関西学院大学生だが、犯した犯罪の質が異なるような気がする。関学生の場合は、どこぞで手に入れた軽佻浮薄なイデオロギーに躍らされて幼稚な犯行におよんだのであろう。こういう学生は確かにそのまま社会に放り出すよりも、教育機関で矯正教育を施した方がいい、というのも理解できるのだ。もっとも現今、こういう手合は増えており、大学がそういう意味での教育機関としては機能していないのは現実だが。
萩野容疑者の場合は事情が異なる。強盗致傷である。関学生の器物損壊とは根本的に異なる重大犯罪である。私の知り合いに警察に逮捕されたのはいない。結構ハードな左翼運動家もいたはずだが。在日韓国人で、韓国に行った時に逮捕されて獄中20数年、という政治犯はいるけど。日本の治安当局に逮捕された知り合いはいない。かなり稀な人物といえるだろう。というか、中々強盗致傷までする豪快な人物はいないだろう。
退学処分が議論される状況を考えると、私の在籍している大学でも数年前に住居不法侵入と暴行容疑で逮捕された学生がいた。新聞でも取り上げられるほどの事件だったが、速攻退学処分が下っていた。更生の可能性とかそういうことはおそらく議論されなかったのではないだろうか。大学の社会的信用を棄損した、ということで十分なのだ。あと十数年前、左翼学生でいた。民青と喧嘩になって相手に軽傷を負わせたという事件で、これは警察沙汰にはならなかったが、大学内では退学処分を検討する声が上ったという。学園内で暴力を振るったことは由々しき問題であり、暴力を容認するわけにはいかない、ということだ。ちなみにその人は卒業を2ヶ月後に控えていたのだが、その事情も勘案して戒告処分となった。退学処分に反対したのが私の指導教授一人で、それでずいぶん学生の間の株が上がった。ただここで注目しておきたいのは、やはり「暴力」は退学処分の対象になる、ということである。したがって萩野容疑者の場合も退学処分は選択肢にあったはずだ。厳格な対処というよりは、厄介者払い、という色彩が強まるが、少なくとも逮捕・起訴・有罪判決、という経歴は、厄介者払いするに十分な案件であろう。はっきり言って、こういう人物の矯正教育は大学の手に余るのだ。
そこを敢えて同志社は無期停学処分にした。ということはフォローする責任は大学に生じるだろう。しかし大学の責務を超えているのではないだろうか。大学で教える身としては、大学に道徳教育とか、そういうものを期待されるのは正直つらい。そのようなものは高校までで身に付けていてくれ、という気持ちだろう。それだからこそ余計に「退学処分」という選択肢はなかったのか、と思ってしまうのである。無期停学処分という選択肢は大学の甘さ、特に危機管理の甘さと、自己能力査定の甘さを露呈したものだと言えるだろう。
結果論だが、「退学処分」にしておれば、今回の事件も防げた、と思うのは私だけだろうか。退学では塾の講師にはなれないだろう。しかしこれは所詮結果論でしかなく、有効な議論ではないことをお断りしなければならない。