塾講師が生徒を刺殺4

まずこの問題に関する情報を受けとる前に。「学校教育を信用できずに塾にやる親が間違っている」と言うキャスターや、「授業再開はだめ」というコメンテーターは、端的に言って何も知らないのにしたり顔をしてもっともらしいことを言う、言論人失格者と言えよう。それが言論人面して金を貰ってテレビで売れている現実に暗澹とせざるを得ない。彼等はまさにエンターテインメントとして、そして自分の憂さばらしのためにこの事件を扱っているのである。
気を取り直してもう一つ、「塾講師の採用をする時に勉強ができればいい、というのが間違っている」などといい加減なことを言うコメンテーターも言論人失格認定させていただく。
言論人もどきが知らない塾講師採用の裏側。
私は4ヶ所の塾の採用試験を受けた。3勝1敗。内一つが現在仕事をしている塾。そこは特殊な採用方法なのだが、まず現在の私の塾の採用方法を述べておこう。断っておくが、こういう採用を行なっている塾はほとんどない。そこの塾は個人経営の塾である。したがって塾長が全て。塾の講師に欠員が出る。その塾の場合は基本的に大学に就職が決まった、という事例がほとんどだ。京都大学国際日本文化研究センターを筆頭に関西の国公私立大学に教員を輩出している。今在籍している講師は全員博士課程修了者である。大学で教鞭をとる人の方が多い。かなり特殊な環境だが、なぜそうなるか、と言えば、紹介でとるからである。別に学力があるからとっているわけではないし、塾長が研究者が好きなわけでもない。紹介で採用するから、事実上採用の可否を決めるのは紹介者である。紹介すればまず通る。したがって紹介する側、つまり私たちは慎重になる。変な人を紹介すればこちらの立場も悪くなるからだ。数年間プライベートで交友があり、人間的に信頼できる人物しか紹介しない。たとえば萩野裕容疑者を紹介することはありえない。私の基準では暴力に頼る傾向性を有する人物を教育現場にいれるわけには行かない。強盗致傷の前科のある人間を教育現場にいれる勇気は私にはない。いかにその人が更生していたとしても、だ。保護者の間に噂にならないとも限らないし。
しかし紹介だけで人材は確保できない。しかも紹介も結構いい加減な紹介をする人もいる。私の同僚で、私をその塾に紹介してくれた人は、結構いい加減で、日本語のたどたどしい留学生を国語の教師に送り込みかけたことがあった。私がストップをかけたが、その人は留学生の苦しい状況を助けたい、と思って、紹介しようとしたのだそうだ。日本語能力は国語教師においては大切で、たどたどしい日本語で受験国語をやられたのではたまったものではない。この人は他にもいい加減な人を「経済的に困っているから」という理由だけで紹介しようとする困った人で、私ともう一人の同僚で何回もストップを掛けたことがある。
と、まあ中々紹介だけでは大手塾は難しいのだ。そこで採用試験ということになるのだが、学力試験は一応存在する。しかし簡単なものだ。それも解けない人が中にはいて、びっくりするのだが。中学生であれば間違いなく解ける問題である。これが解けない人はもう一度小学生からやり直すべき、という問題だが、実際は解けない人が続出する。多くは現役大学生なので、大学生の知的レベルは中学生以下なのだ(注釈を。私もそうだった)。入学した瞬間知的レベルは大幅に下る、ということを実感させられる。さらに言えばそれでも塾講師になれるのだ。逆にほぼ満点取っても不採用ということもある。なぜか。
答えはスケジュールである。塾の時間割は結構タイトだ。その時間割にぴったり合う人間が必要なのだが、実際にはそうそうスケジュールが塾の都合にわけはない。なぜなら多くは現役大学生だからだ。大学の授業やサークルの都合で塾のスケジュールと合わない可能性は高い。たとえば塾では「月曜日と金曜日の5時から9時まで」という講師を探している時に「月曜日はサークルです」という応募者が来たら、学力的にも人間的にも完璧であっても不採用だ。逆に「いつでもOKです」という自由の利く応募者が来たら、少々学力に難があろうとも、人間的にやばくても採用してしまうものだ。特に萩野容疑者の場合は11月から採用された、ということで、採用するからには、時間割に穴があったのだろう。そこにすっぽりはまる人間を探していた、ということで、氏素性も確かめずに採用、となるのは当然である。しかも萩野容疑者の場合は京進のOBだった、ということで、より採用しやすかっただろう。大学に問い合わせたり、警察に問い合わせたりするわけもなく、それどころか即採用だったのではないか、と思われる。下手したら塾生当時の担任が推薦していたり、とか、宇治神明校の校長の教え子だったりとかいう可能性もある。となれば、完全に即採用だ。
もちろんこのような安直な採用に問題があるのは事実だ。私自身問題のある塾講師を何人も見てきた。一番多いのが突然やめる人。サークルが忙しいとか、試験勉強をしたい、とか、学生なので無責任に突然投げ出すのだ。すると穴を急遽埋めなければならなくなる。そこに萩野容疑者みたいに、スケジュールががら空きの人間(執行猶予中で、停学処分中ならば、当然スケジュールは真っ白だ)が来たら、採用したくなる。学生の講師自体に問題がある、と言えばその通りだ。しかし優秀な学生講師も存在するのも事実である。ただ大学の教師でもある私の立場からすれば、優秀な学生講師を見ていると「大学の授業大丈夫?」と言いたくなるのも事実だ。そんな暇ないだろ、と思ってしまうのである。客観的に見れば、学業よりもバイトに精を出すDQN大学生そのものだからだ。
次に塾の考課はどうなっているのか、だが、これは塾によってかなり違う。私の塾ではクレームがあっても考課には基本的に影響しない。塾の経営状態で決まる(笑)。塾の経営状態がいいと給料も上がるし、経営状態が悪くなると給料も下る。
以前いた塾では考課は室長がやっていた。私は室長から嫌われていたようで、二年間一回も上らなかった。それどころか罠にはめられて再研修に行かされたこともあった。理由は室長のミスに関連して室長の逆恨みを受けたことと、室長と仲の悪い上役に私が気に入られていたことが原因だろうと思うが、室長は頑固に私の職級を上げようとはしなかった。この塾では室長が全ての権限を握っており、アンケートなどでは上りはしなかった。
アンケートが大きい塾も存在する。名前を出すのは控えるが、阪神間で有名な塾は生徒のアンケートで全てが決まる。だからそこの塾の生徒のしつけは極めて悪いことで評判だ。勉強ができれば偉い、という風潮の塾で、成績上位者のアンケート結果が全てを決定する。ルーキーリーグからA,AA、AAA、メジャーと上るのは、成績優秀者のアンケートによるのだ。ちなみに私の知り合いが努めている某有名進学中学・高校ではその塾の生徒を極力とらないようにしているらしい。甘やかされて世間をなめているので、入学してから指導に苦労するらしい。
京進の採用基準や考課基準がどのようなものであるのか、私は京進に知り合いもいなければ、京進にいたこともないので知らないが、採用に関しては、学生を採用する以上は、かなりいい加減な採用にならざるを得ないことは事実だ。
それではなぜ学生講師を採用するのか。表向きは生徒と年齢が近く、相談しやすい、ということが挙げられるが、私の経験から見て嘘である。確かに若い先生は一見相談しやすいようで、始めの内は若い先生を取り巻いているが、そのうちもめ出す例がほとんどだ。近すぎて相談にならないのだ。だからまっとうな塾では学生講師が生徒の相談に乗ったり、まして面談をしたりすることはないはずだ。私のかつていた塾ではマニュアルではそうなっていた。実際には私のいた校ではやっていたが。それは室長がさぼりだったからだ。別の校では「担任」は全て室長が行なっていた。それが普通だ。京進ではどうだったのか知らないが、学生講師に相談に乗らせることは基本的にまずい、と考えるのが普通だ。
学生講師採用の理由は時給が安いからだ。時給は2000円台前半。これが院生になると2000円台後半になる。下手をすれば3000円とかになる。ちなみに私は5000円台。高い、と思う勿れ。2000円では苦しい。そんなにコマ数(担当授業)があるわけではないから、2000円台では月にすれば5万円から8万円ではないだろうか。5000円の私は30万円。これは担当コマ数が多いからだ。学生が持てるコマ数はせいぜい週6時間というところだろう。時給2000円として週給12000円。一ヶ月4万8000円だ。これでは学生のバイトにしかならない。生活するには20〜30万必要だ。それだけ稼ごうと思えば、時給3000円として一ヶ月100時間。週25時間足らず。そんなに授業があるわけない。ちなみに私が担当しているのは週18時間だ。少ない、と思う勿れ。授業の準備には馴れない間は倍以上かかる。塾のバイトは時間ぎりぎりに行っていてはダメなのだ。授業の始まるかなり前には仕事場にいて、生徒対応もしなければならない。授業が終わっても生徒が帰るまではいなければならない。もちろんそれは給料は発生しない。というよりも一コマの時給に入っているのだ。どういうことか、と言えば、たとえば契約が月曜日の5時から8時という講師がいたとする。彼に支払われる給料は5時から8時の3時間分だ。しかし彼が出勤するのは4時過ぎだ。帰るのは9時前だ。それまでには授業準備をしなければならない。テキストの予習、小テストの作成。授業終了後は欠席者への連絡、小テストの採点、次回プリントの作成など仕事が多い。塾のある日は一日つぶれる。3時間で週18時間働こうとすれば週6日出勤。私は日曜日と土曜日に長時間入るので実際には4日で済んでいるが、まともに生活しようとすれば、かなり苦しいことが分かる。生活しなくてもいい学生バイトを使う理由はそれである。しかも私の場合時給がかなり高い。時給も抑えたければ学生は極めて有効な戦力なのだ。
専任講師、つまり正社員を雇え、という声が出てきそうだが、雇用保険に退職金積み立て、厚生年金など正社員を雇うコストはかかるのだ。塾の経営体力では難しいだろう。しかし改善の必要もある。それは塾の専任講師のおかれている状況である。
塾の専任は大変だ。ほとんど営業職。昼間は営業で飛び回り、塾に帰ってきてすぐに授業。以前いた塾で室長のタイムカードを見ていると午前になってから帰宅していた。過労死する人もいたりして、あれはあれで問題だ。しかも忙しい人は管理職なので労働基準法で保護されない。ほとんどサービス残業だろう。しかも管理職になるのは30そこそこだ。塾はほとんどが管理職。ほとんどの校は専任が一人と思った方がよい。専任が二人いるのは大規模校だけだ。宇治神明校では多分専任は一人だったろう。だから事件当日は校長が不在だったのだ。もう一つ、塾講師は離職率が高い。非常勤(バイト)は当然4年で消える。私みたいにバイトで10年を超えるのは稀である。私が今いる塾にはごろごろしているが。それは大学生を雇用する以上当然だ。問題は専任も離職する人が多い、ということだ。私がかつていた塾の売りが離職率の低さだった。それでも私の印象を言えば結構やめていった。他の塾は推して知るべし。やめる理由だが、先ほどの事情で想像付くだろう。激務の割りに薄給だからだ。日曜日は確実につぶれる。公休日があるものの、公休日に休めることはない。ほとんど休日はなく、早朝から深夜まで仕事に追われ、さらに授業もせねばならない。塾の専任は思ったほど授業はできない。仕事が多すぎるのだ。生徒募集に失敗すれば校の閉鎖が待っている。校の閉鎖後は左遷だ。やめたくなるのが道理だ。
このような塾に生徒を預けて大丈夫なのか、という声も当然あるだろう。塾のあり方は根本的に考えなければならないだろう。私は大学生が塾の講師をやることにはあまり賛成できない。やはりもう少し専任を増やし、塾講師の待遇改善と教学内容の向上を図るべきであると考える。もちろん補助的に大学生のバイトを使うのもいいとは思うが、いかに優秀であっても、大学生にできることは限られている、ということを塾も考える必要があるように思う。ただコスト削減の要求も根強い。やはり月謝の安い塾に流れるのだ。低コスト競争に巻き込まれた塾はコスト削減のために廉価な大学生講師に頼ることになる。低コストを求める消費者の意識が、その企業の提供するサービスの質を下げているのは実はマンション問題にも通底しているのかも知れない。