西尾幹二氏「つくる会」離脱

西尾氏のhttp://nishiokanji.com/blog/2006/01/post_284.htmlに「離脱」に関する氏の見解が載せられていた。一部引用。

「なにか会の内部に思想上のトラブルや路線対立があったのか」という質問を各紙から受けたので、「それはまったくない」と答えた。「なにもないのに辞めたのか」と重ねて尋ねられたので、「その精神活動をよく知らない新しい理事が最近多数入ってこられて、立派な方も勿論おられるが、私とは話が合わなくなってきた人が増えてもいる。言葉が通じなくなってきた。会議などでの論の立て方、合意の仕方が理解できない。私が苦労しつづけるのはだんだんバカらしくなってきた。そういうことはある。歴史観が大きく違うということはない。」

 私と記者との対話は大体以上の通りである。

「精神活動をよく知らない」とはどういうことだろうか。ヒントになるのが、西尾氏の小泉政権批判である。それに対し、ネット上の「若い」人たちから批判が相次いだ。「話が会わなくなってきた人」というのも同じことであろう。「若い」人たちからは「古い」と見られているのだ。「保守化」と言われる近年の「若い」人たち、しかし実際には保守的なのではない。むしろ急進的なのだ。国家主義的な言説から「保守」と考えられがちだが、保守主義では決してない。彼等自身もそのことに関しては自覚的で、中には「新自由主義」「新国家主義」という言い方をしている論者もいる。「ネット右翼」「ネットウヨ」「熱湯浴」と呼ばれるのは、そういう論者である。彼等は小泉政権を熱烈に支持する。といっても対外硬だ。嫌中・嫌韓感情が強く、対アジア強硬外交を主張する。その一方で対米従属には肯定的である。牛肉の輸入自由化イラク派遣を強く支持する。靖国参拝も小泉流を支持する。
西尾氏はそうではない。靖国参拝に関して小泉総理の発言「心ならずも戦場に赴いた」というのを批判する。西尾氏にとっては兵士は戦争に進んで赴いたのだ、ということなのだ。こういう姿勢は、しかし現在では受け入れがたい論調になっている。どう考えても小泉総理の認識の方が、世間には受け入れられるのだ。
天皇制をめぐる問題点も西尾氏にとっては「話が合わなくなってきた」原因だろう、と推察する。女系天皇推進を打ち出した小泉政権に対し、ネットの議論は揺れた。多くの「ネット右翼」は一応女系天皇反対論を打ち出した。しかし靖国問題に関する中国の発言をきっかけに、一気に「ネット右翼」世論は小泉支持に走った。「日本の伝統」などには実は興味を示していないのだ。彼等の意識はほとんど嫌中・嫌韓で動いている。
西尾氏にとっては中国・韓国もさることながら、アメリカの問題もゆるがせにできないのだ。イラク戦争を境に西部邁氏や小林よしのり氏が「つくる会」から距離を置いたことに象徴されるように、対米関係をどう見るか、という路線対立が存在したのだ。西部氏が執筆していた「新しい公民教科書」が八木秀次氏執筆にかわり、米国に関する記述が転換したことは前に述べた。西部氏は反米・反戦後民主主義だったのだ。西尾氏も西部氏に続いた、というのが実際のところだろう。
「新しい歴史教科書」の記述は今後変化するだろう。今よりももっとソフトな方向に行くだろうし、それだけに採択率も増えるのではないだろうか。

追記
いわゆる「本物の保守主義」の間ではどうも安倍氏に関する評価が急落。「裏切り者」呼ばわりしている人までいた。どうやら女系天皇問題が大きく響いている模様。ライブドア関係で名前が出るのではないか、なんて噂もあるし。まあライブドアマネーは政界に行き渡っている可能性はないわけではないし。森前総理山本一太議員に恫喝したのも、森派を割って安倍派を旗揚げしようという動きへの牽制で、それが通用したのは、安倍氏の求心力が低下しているのではないかなぁ、なんて妄想を膨らませている。ネット界の世論にも大きな変動が訪れているようだ。小泉支持ブログでもホリエモンをめぐっては割れているし。