入試説明会

今日はまたある任務で入試説明会へ。Nセンターでは国語の過去問を付けていなかった。著作権の問題だという。近ごろ国語教育関係者の間で話題になっているのが、この著作権問題だ。昨年五月赤本が訴えられたのは記憶に新しい。この動きは数年前からあって、我が塾で使用していたテキストが急遽差し替えられたことがあった。年度途中で無料交換。持っていた旧版は廃棄してくれ、と生徒に頼んだ。あんなたくさんの本をこちらで捨てるわけにも行かない。教材会社からは確実に廃棄してくれ、とあったが、生徒がどれだけ廃棄したかは確かめていない。
この問題について真剣に考えているブログ入試過去問と著作権を考えるblogもあって、このブログに触発されて少々考えたいことがある。
過去問を使えない、ということは塾にとっては死活問題だ。国語力は上がっても、受験指導はできない。受験したことがある人ならばわかるだろうが、受験勉強の要諦は自分の志望校の問題を知ることだ。過去問はそのための貴重な道具なのだ。まあ、著作権料を払えばいいのだが。しかし多くの学校の多くの問題一つ一つに著作権料を払うとなると、おそらく個人塾の手に余る。大手塾しか生き残れないであろう。過去問を使わずに指導したとしても、大手塾に負けるのは必定だ。著作権料を払える体力のあるところが生き残るだけだ。小さな塾は全滅するしかない。
SONYが発売するCDにrootkitが仕込まれていた、というニュースに関連して、「重層的非決定」11月15日に以下のエントリがある。(リンクの仕方が分からんので、興味があれば各自ググって下さい)

著作権などどうでも良い、などといいたいわけではもちろんない。しかしまた今現在の状況が、「かれら」が喧伝するほどひどい状態だとも思わない。大体「iPod課金」といい、「著作権者」と称してしゃしゃり出てくる連中の大半は他人の著作権料を食い物にしているだけで、自らたいした著作物を生産しているわけでもない。

あり得べき利益を最大限に見積もり、それから漏れた分を損害と見積もり、被害だと騒ぐ。その被害の回復のためにはrootkitをPCに仕込むことも、ユーザの必要としない機能に無理矢理移行させて、ゴミの山を作ることも、料金の二重取りをすることも恬として恥じない。真に浅ましいことだ。

またphenotex氏の

日本ビジュアル著作権協会」という団体の主張をひと通り読んだ上で、僕はこの問題については、「日本ビジュアル著作権協会」は、「やり過ぎだ」という感を持った。正直言って、「そんなところからも金取りたいのかよ?」というのが、僕の「感想」だ。あんまりケチなこと言わないで、使わせてやればいいじゃないのかなと思う。入試問題で作品と出会ったことによって、実際に本を買うという動きをする者は多いが、それによって本来売れるべき本が売れないという事態は想定しづらい。宣伝にこそなるが、著書の販売を妨げる要素はないと思われる

という意見も同様の意見だろう。
それに対し著作権団体側の意識を見ていきたい。
日本ビジュアル著作権協会理事長との対談における経済産業省の官僚の発言。

奈須野太・経済産業省知的財産政策室課長補佐
現在、政府には小泉純一郎首相を本部長とする「知的財産戦略推進本部」が設置されており、ここが中心となって関連省庁を束ねて、知的財産を振興するために本腰を入れて取り組んでいるところです。
 これまで知財と言うと、皆さんが関係している文芸作品や音楽、写真、絵画等の
著作権、そして特許権といった所有権的な権利の領域を指しましたが、最近では著作権特許権などを使った経済活動によって得られるデリバティブ(派生商品)も含めて「知的財産」と呼ぶようになり、法律上もそのように定義されています。従来、知財は人格権とか名誉権が中心でしたが、近年、営業上の利益や派生するデリバティブな部分も含めた考え方を取っているわけです。

ようするに小泉政権における改革の一環として知的財産権をビジネス化し、それを経済活性につなげていこう、というのであろう。それは次の那須野氏の発言にも表れている。

ところが知財とは経済活動によって派生する利益も含んでいますから、我々は著作物という言い方を「コンテンツ」という用語に呼び替えました。昨年「コンテンツ産業振興法」が施行され、大きな産業として期待されています。ゲームや映画、音楽といった日本のコンテンツ産業の市場規模は非常に大きい。世界のアニメーションの6〜7割が日本製ですからね。日本のコンテンツ産業の市場規模は自動車産業の半分の11 兆円で、鉄鋼業の市場規模5兆円の2倍もある。コンテンツ産業は今や日本の基幹産業と呼んでもよいのではないですか。昔は「鉄は国家なり」といって鉄鋼業が基幹産業でした。その鉄から様々なデリバティブが生まれた。例えば、鉄で自動車を作るとか、鉄でビルを作るとか。コンテンツ産業でも同様に、例えば、人気キャラクターの「ピカチュウ」からテレビ番組を作ったり、オモチャや絵をプリントしたTシャツを作ったり、様々なデリバティブが生まれます。市場をどんどん拡大するポテンシャルがあるわけです。日本のコンテンツ産業のGDP(国内総生産)に占める比率は2%。米国では5%ですから、日本のコンテンツ産業はまだまだ伸びる余地がありますね。

日本の基幹産業としてコンテンツを産業化しよう、というのである。確かに現在日本の様々なコンテンツが世界的に評価されている一方で、特に中国における海賊版の横行など、憂慮すべき問題もある。国内でもたとえばソフトの違法コピーなどの問題もある。受験産業でも参考書に使った教材に著作権料を払わない、というのはやはり問題だろう。それは分かる。したがってここにおける那須野氏の意見に異を差し挟もうとは思わない。しかしそれを受けての次の曽我陽三日本ビジュアル著作権協会理事長の意見は、「やり過ぎ」のように思う。

著作権がコンテンツビジネスを支えていることからも、著作権者も「契約」や権利主張という部分を、もっと積極的にとらえるべきだと考えますが。

そしてそれを受けて那須野氏が応じる。

そうですね。著作物は今や、巨大なコンテンツビジネスとして発展してきている中で、従来の創作者一人の世界から、共同作業へと変わってきています。例えば、ある著作者が経済的利益を求めないという姿勢でいますと、コンテンツ産業は集団作業・共同作業ですから、そこに多額の投資なり経済的リスクも背負っており、それらの人々の利益にならないばかりか、スポイル(だいなしに)してしまう結果になってしまう。たとえ一人であっても対価を請求した方が、コンテンツ産業全体のためにはメリットになります。著作者がお金をとったからといって、その人の人格が否定されるわけでは全然ないわけです。著作物を用いたビジネスが行なわれている以上は、相当の対価を得ることは全く問題ない。著作権の権利を主張して相当の対価を求めるべきなのです。

これは那須野氏個人の意志ではなく、経済産業省知的財産政策室課長補佐としての発言である。経済産業省の意志を表している、と考えて差し支えないであろう。
つまり、現在は著作権も利益を生み出すものとして把握されている。そしてその著作物に依拠して私も経済的利益を得ているのである。「こんな所からも金を取りたい」のだ。それを非難することは確かに難しいかも知れない。だから次のphenotex氏の意見に賛同したい。

だから、これが時代の趨勢であるならば、それを受け入れた上で、この機会に大学入試の国語の出題の形式を抜本的に改革してしまってはどうだろう。(ここが僕の「主張」だ。)もしこのまま「入試で出題された文章が過去問として入手できない」という事態が続けば今後の日本の国語教育の根幹を揺るがすこととなってしまう。ならば、いっそのこと、もう著作権侵害の可能性を含む現代作家の文章を出題することを止めてしまえばいい。それを補い、より教育効果の高い他の出題形式を取ることも可能だと思う。

そしてphenotex氏はその具体的な対応策として1没後50年経った作家の作品2学校のオリジナルの文章の出題を提言している。
啓明学院では一部オリジナルの文章が出題されている。これは新しい試みだ。新設校なので、学校のアピールも兼ねているのだろうが、一つのモデルケースとして注目したい。