荒川静香論2

荒川静香選手の勝因の一つが、余裕であった。荒川選手が余裕を持ちえたのは、彼女自身の性格も大きな要因だろう。彼女の性格を示す一つの出来事が小泉純一郎総理大臣からの電話の受け答えである。普通総理から電話があれば、緊張して自分からは何も言えない。しかし荒川選手は自分から会話をリードしようとしていた。ただ総理側は時間の制約もあるので早々に総理の側から話を打ち切ろうとしたが、その一瞬のやりとりに、周囲に惑わされない彼女の性格が現われていたように思う。
その彼女が心を乱した時期がある。新採点方式になじめなかった頃である。NHKスペシャルでもスケート靴のエッジを氷に打ち付ける荒川選手の姿が映し出されていた。明らかにいらついている様子だった。それに追い討ちをかけるのが若き浅田真央選手の台頭である。
ちなみに一番浅田旋風で影響を受けたのが安藤美姫選手であろう。今まで追う立場であって、追われる立場は初体験、これで完全にペースが狂ったのであろう。顔つきから何から明らかに変わった。ぎこちなくなり、小指の疲労骨折も重なったのであろうが、これとてもストレスも無関係ではないだろう。オリンピック後は以前の顔に戻っていたような気がする。
オリンピック直前、だれだったか失念したが、荒川選手にある人がかけた一言が荒川選手の感情に大きく寄与したようだ。「笑顔のカワイイ真央ちゃんが勝つのよ」。これで荒川選手はふっ切れたようで、オリンピックの時に既にふっ切れた顔をしていたように思う。昨年末の表情とは一転していた。さらに村主章枝選手との「和解」も大きかったであろう。村主選手と荒川選手の「不和」は、マイペースの荒川選手に、情熱の人村主選手が違和感を持っていることに原因があったようで、荒川選手は「どう対応していいか分からない」と言っていたそうだ。結局村主選手が荒川選手にスピンに関する教えを請うたことがきっかけと言われているが、もともと荒川選手としてはなぜ不和になるのか、わからなかったのだから、村主選手から歩み寄るしかなかったのだ。それが実現したことも荒川選手に大きく味方しただろう。
荒川選手が最終的に「自分の滑り」が出来たのは、割りきりであろう。芸術か競技か、という割りきりである。新採点方式では小技で点数を稼ぐのが有利である。しかし荒川選手の指向性は芸術にある。そこが最大のジレンマだったのではないだろうか。しかしオリンピックの本番で荒川選手は競技者に成りきった。そこに金メダル獲得の最大要因がある。スルツカヤ選手やコーエン選手の転倒も、作戦の一環である。その荒川選手の作戦について、とやかく言う筋合いは誰にもない。アメリカメディアが何かと批判をしているようだが、競技であることを無視した議論に与する必要はないだろう。
競技者になりきることで見事な金メダルを獲得した荒川選手だが、点数にならないイナバウアーを入れたところに荒川選手の葛藤の末の止揚という、弁証法を見た。