宿題忘れと教師の人気度

下のゆう氏のコメントに触発されて宿題の問題を考える。
宿題、私は苦手だった。基本的にやった記憶がない。いつも教師に問い詰められるわけだ。「なんで忘れたの?」知らんがな。何か知らんけど、授業始まってから思い出すんだよ。
だからと言って教師たるもの、甘くしてはダメだ。自分のことは棚に上げるのが教師の責務。とは言い条、国語は宿題がなじまない教科である。だから出したことはない。どうしても授業内に収まらなかった分を「家でやってきてね」と宿題に出すことがあるが、点検などはしない。いきなり解説からする。ばか正直に「先生、宿題忘れました。どうしたらいいですか」なんて言われて「知らんがな」と言ったこともある。
社会をたまに担当することがある。受験直前には社会を大量に押し込むので私もピンチヒッターで社会を担当するわけだ。もともと社会の講師として今の塾にも採用されているので、社会はお手の物。社会を担当すると「先生、大丈夫?」と聞いてくるヤツもいるが、もともと社会担当だったのだ。国語よりも上手いくらいである。
社会は宿題をきっちりしてくる必要がある。定着させるのがポイントだからだ。忘れた生徒には千本ノック。宿題をその場でやらせるわけだ。宿題忘れした生徒にあてる。それで勘弁してやる。
日ごろ宿題を出さない教師なので私が宿題を出すと違和感があるのだろう。宿題をわすれる生徒は結構多い。もちろん説教はしなければならない。それも厳しく対応しないと塾講師としての責務放棄と見做されかねない。
宿題をやらない生徒に対して「親が甘やかす」「生徒が怠けている」というのは、半分正しい。生徒に対しては「お前が怠けている」というべきだし、教師同士で話題になるのは「親が甘やかしている。どうするべきか」ということだろう。実際、親が甘やかすケースも多い。
しかしゆう氏の憤懣もわからないではない。生徒に宿題をやらせる努力をするべきで、嫌われているから宿題をやらないのだろう、という想定は、十分に可能性はある。
私の想い出からすると、実は教師が嫌いかどうか、ではない。私が宿題をやらなかったのは単に面倒くさいからだ。私は嫌いな教師に出会ったことはない。向こうが私のことをきらいだったことはあるようだが(笑)。私はその教師に嫌われているとは全く感じなかったのだが、あとで人づてに聞いた。「あ、俺嫌われてたんだ、そういや・・・。」てなもんだ。ただ宿題はあまりやらなかった。いや、できなかったのだ。いつも忘れる。そう言えば忘れ物も多かった。だから成績も悪かった。よくいわれる話だが、成績を上げようと思えば、まず忘れ物を無くさせることだ。宿題忘れを含む忘れ物が多い間は決して成績は向上しない。基本的な生活パターンが出来ていないからだ。これはかつて書いたが、どこにあるのか見あたらない。
ただ教師が嫌われているかどうかは、意外とわからない。もっともはっきり出るのはアンケートだ。日ごろ厳しく、生徒からうざがられている教師が意外とアンケートでいい結果を出すことがある。信頼関係ができているのだ。
アンケートの項目のうち、「わかりやすい」「わかりにくい」の項目は、授業の力量を測る項目ではない。これは信頼度である。まだ新人でヘタクソでも、一生懸命授業している教師には「わかりやすい」を付ける。厳しく鬱陶しい教師でも「わかりやすい」に○を打つものだ。
その教師が嫌われているかどうか、というのは意外とわからないものだ。長くなるので、また機会を見て論じたい。