はっきり聞け

今日、塾で質問があった。「これ」とある単語を指さす。「学業」と書いてある。「がくぎょう」というと、まだ指さしている。「何が聞きたいの」と聞くと「意味」。「学業の意味が聞きたいんやったら、そういわな、わからへんがな」と言ってやる。
最近、この手の生徒が増えてきた。文章が作れないんだろうな。断片的な知識は覚えているが、文章が作れない。文章が作れない、ということは、思考が出来ていない、ということだ。ちなみに某野球評論家の子どもはこう聞いてくる「○○の意味がわからないんですけど、教えて下さい」。「これ、なんて読むのか教えて下さい」。さすが言葉を操る野球評論家の子どもだけある。この子はいまは国語は悪いが、いつかよくなるだろう。というよりも、他人にものを聞く時には、それくらいのことは言うのが常識だろうと思う。
あと気になるのが、テストで自分の名前をまともに書かない生徒。他の答案も汚ければ、まあそういうヤツだ、と「個性」を認めてやろう。私も字が読みづらいという個性の持ち主だったしな。しかし答案はきっちりとした字で書いているのに、自分の名前はぐちゃぐちゃの字で書いている。テストに向かう時の心理が現れているのだろう。もう一つは自分の名前に対する誇りが欠けているのかも知れない。私は心理学の素養が全くないので想像に過ぎないが。一昨年あたりから目立ちはじめた現象だ。自分の名前をめちゃくちゃ汚い字で書く、という行為にどんな心理があるのか、調べなければ。
ちなみに某野球評論家の娘がきっちりとした文章を話せるポイントになるかも知れない情報を一つ。その野球評論家は小学生の娘がいるとは思えない歳である。母親もほぼ同い年。40代半ばで子どもを産んで、今は50代半ば。ということで、親の世代間ギャップか?これも素人考え。
後記。今日はその生徒、しっかりと「○○はどういう意味ですか」と聞いてきた。やればできるやん。ということはその生徒は思考力がないのではなく、単に人にものをきく時の態度がなっていなかっただけか。少し安心した。今までの例で言えば、そういう生徒ってまず治らないので。