MacBook Pro5つの風景 5 机の上のMacBook Proはいいことずくめ

タイムカードをおして自分のデスクに座る。手を伸ばして作り付けの本棚からMacBook Proを取り出す。ディスプレイを開いて、スイッチを入れるのは、ほとんど一つの動作だ。というか、私は非正規雇用労働者なので、自分のデスクなどない。しかも原文ではPowerBookを本棚から取り出す、ということは持って帰っていないのかよ。PowerBookを持ち帰らないなんて「モッタイナイ」。まあウィニーにやられて情報漏えいというのも困るから、正しいと言えば正しいな。
私が仕事で使うMacBook Proはもちろん自分の持ち物だから家に普段に置いてあって、必要に応じて持ち歩く。しかし会社に置いておくならば何もノートパソコン使わなくてもいいようなものだが。
ただ当時は液晶ディスプレイを使うのはノートだけだったから、机の上が狭い、というのはあった。私もQuadra700を使っていた頃は、机の上がやたら狭かった。かといってパソコンラックに入れると、今度は普通の書き物が出来ない。Macはパソコンラックに入れるのではなく、普通に机に置くのが正しいような気がする。しかしLiblettoを買ってからは、メインがそちらに移ったので、Quadra700もパソコンラックに入れたが。
私の勤務先の塾には光ファイバーが来ていて、しかもいくつか空きがあるので、とりあえずパソコンを持っていきさえすれば簡単にネットにつながる。これはありがたい。一つ講師用のパソコンは用意されているのだが、その机は基本的座る人がけっこう決まってくる。私はどうせ阪神の試合結果しか関心がないので、そこには座らない。となりにはネットの端子だけがあるので、日曜日にはパソコンを持ち出してネットにつないでいる。
大学の状況は劣悪だ。九州の某大学の講師控室にはソファとテーブルしかない。これでは準備がまともに出来ないではないか。史料集の切り張りも満足にできない。多分控室をセッティングした人は教育経験がない人なのだろう。京都の大学の控室もそうだった。当時指導教授が文学部長だったので、ねじこんで、変えてもらった。今はデスクが並んでいて、ソファが少なめになっている。よその学部では机が少なく、ソファが顔を利かせている。どう考えてもソファ少なめ、デスク多めが正しいと思うぞ。ソファが多めの経済・経営学部ではデスクは空きが無い。文学部ではソファが少なめだがそれでもソファは開いている。大学の講師控室はデスクを中心にレイアウトすべきだと強く思う。
過去のバイト先を見てみても、ソファ中心だったのは駿台予備校の清掃員控室くらいだ。清掃員控室に確かにデスクはいらない。ソファの方が需要があるだろう。高校の宿直はでは、事務の人が帰るとデスクを借りていた。ちなみに結構好みの席があるようで、だいたい固定される。事務長席に座りたがる人、窓口席に座りたがる人、ひどいのになると隣の校長室の校長のデスクに座る人もいた。私は窓口派。何となく気心の知れた人の席に座りたくなるのだ。
そこでもう一回。事務の人のタイムカードが押されると、自分の(というか自分がいつも座る)デスクに座る。手を伸ばして鞄の中からPowerBook100を取り出す。ディスプレイを開いて、スイッチを入れるのは、ほとんど一つの動作だ。