夷酋列像2
蠣崎波響の名作「夷酋列像」。特に有名なのがクナシリ脇乙名のツキノエとアッケシの惣乙名イコトイの画像である。しかしノッカマップの惣乙名ションコも含めて、クナシリ・メナシの戦いの中心となった三人は松前には来ておらず、したがって波響はこの三人を見てはいない。しかし波響はこの三人を含めて「夷酋列像」を描いた。波響は何を描いたのだろう。
「夷酋列像」は極めて政治的な背景に彩られていることを忘れてはならない。これは波響がアイヌの姿に感激して遺した個人的あるいは芸術的な作品ではない。否、芸術はしばしば政治的な背景のもとに存在するのである。芸術に造詣の深い君主は、しばしば文弱とか無駄遣いとか評されるが、実際は文化も政治の武器である。こういうところに鈍感な人がしばしば政治的な動きを、個人的動機に還元してしまう愚を侵すのである。
それでは「夷酋列像」が放つ政治思想とは何であろうか。
当時の松前藩が抱えていた政治的課題の第一は、転封の危機である。アイヌという「異域」との交渉だけであれば一万石格の松前藩で何とかなった。しかし十八世紀に入り、ロシアが交渉相手に登場してきたのである。ツキノエやイコトイやションコもロシアとのつながりを有していた。松前藩が対峙するアイヌのバックにロシアの影がちらつくようになったのである。江戸時代は海禁体制を敷いていたので、松前藩がロシアと交渉することはないが、アイヌは当時の日本の国制からは独立した存在だったので、彼らはロシアと独自に外交関係を結んでいた。当時の日本はアイヌを通じてロシアと関係を保っていたのである。しかし江戸幕府の内部でもアイヌを通じてロシアと関係を継続する方針を考える松平定信もいたが、蝦夷地を江戸幕府の直轄地とし、蝦夷地開発も対ロシア交易も江戸幕府の手中に収めようという本多忠壽のような意見もあった。幕閣の勢力変動如何では松前藩は常に転封の危機にさらされていたのである。特にアイヌの松前藩に対する武装蜂起は、松前藩がアイヌやロシアとの関係を担当する藩としては不適格である、と烙印を捺される口実にもなり得る。だからこそ松前藩は飛騨屋の搾取に原因を求めたのであるし、定信の意向が強く働いた結果、飛騨屋が全ての責任を負わされることになったのである。これは何も飛騨屋だけがアイヌ抑圧に責任があることの謂ではない。飛騨屋のみが罪を問われたのは、江戸幕府の政治がそのような結論を導き出したのである。
波響の絵画に対する秀でた才能は、松前藩の工作には大きく寄与した。光格天皇が「夷酋列像」を見た、という事実は、大政委任論によって幕府権力の強化を図ろうと考えていた定信政権に大きな影響を与えたであろう。「夷酋列像」は明らかに政治的アピールだったのである。
イコトイの像を見れば、波響が意図したところのものは容易に見える。イコトイは蝦夷錦の上にロシアの軍服を羽織っているのである。清の高級官僚が着用する蝦夷錦にロシアの将校の軍服を着たイコトイ像の発するアピールは、要するにアイヌは日本ではない異国であり、ロシアと対峙する偉大な民族であること、それと対峙し得るノウハウを有しているのは松前藩であることである。ツキノエ像もまた松前藩の政治的アピールにまみれている。ツキノエは一七二〇年生まれであるから、当時七〇歳近い年齢だったのだが、ツキノエ像は蝦夷錦を羽織り、ロシアの軍靴をはいた壮年の姿に描かれている。ここでもロシアとの関係がアピールされている。実際にはアイヌがロシアの軍服を着ることもロシアの軍靴を履くこともなかった。しかしあえてツキノエとイコトイにロシアの服装を着せることでロシアとアイヌの関係をアピールしたのである。
他にションコやマウタロケ像を見ると、彼らの姿は中国の聖人の姿に擬せられている。その事実と松前藩筆頭家老の松前広長の、アイヌを関羽になぞらえる発言などを参照すると、このころの松前藩のアイヌに対する視線は明らかである。松前藩は『新羅之記録』を紡ぎ出したころとは全く反対に、アイヌの偉大性をことさらに強調する必要に駆られていたのである。対する江戸幕府はアイヌをことさらに惨めに描き出すことで、松前藩の改易の準備を始めていたのである。「夷酋列像」に見られるアイヌ像、「休明光記」に見られるアイヌ像、いずれもアイヌをめぐる政治的言説にほかならない。
歴史上の史料を扱う際には、必ずその史料がまとっている政治的言説を考慮に入れなければ、その史料が持っている政治的言説にからめ捕られ、正確な姿を見ることはできない。史料の背景を考慮に入れ、史料の信憑性を検討する作業を史料批判と呼ぶ。史料批判なくして史料を使うことはできない。現在多く出回っている「史料」に基づくネット上の言説の多くは史料批判を行わずに、自分の主張に都合の良い史料を切り張りしているだけである。それを「歴史学」と呼ぶことはできない。ネット上だけではない。現在ベストセラーになっている著作にも往々にして見られる。
次回はツキノエとイコトイに焦点を当ててみたい。