冷房

最近我が塾は冷房の効きが悪い。別に光熱費をけちっている訳ではないし、エコロジー塾を目指しているわけでもない。保護者からのクレームだ。「風邪を引いた。お宅の冷房が強すぎるからだ」というクレームが入り、塾長から、冷房温度の高いことい関してはクレームが入りにくいので、少し高い目にしておいてくれ、という支持が入ったのだ。
塾長によるとこの五年ほどの間に保護者がおかしくなった、という。何でも塾のせい。
例えば茶をこぼす。ボケーッとしていて、かばんがぬれる。親からのクレームになる。先生が気をつけていないから子どものかばんがぬれる。どうしてくれるんだ。とか。
宿題をやらない子どもをしかると、「補習塾みたいなことをしてくれるな」とか。宿題忘れもしかることはできない世の中だ。ここは受験指導塾だ。宿題をやらないのはそもそも論外だ。ちなみに私は宿題をほとんどやらなかったが。だから小学校時代の成績はボロボロだった。先生からかわいがられてはいたけど。
こんな保護者たちに育てられた子どもに忍耐力がないのは当然で、キレるのは仕方がないだろう。塾はまだいい。キレる生徒は退塾処分だ。しかし学校では難しいだろう。公立学校の先生方には同情を禁じえない。
学校ではどうなのか、私はあまり知らないのだが、塾では生徒の情報交換は欠かさない。かつてバイトしていた西日本最大級の塾では毎月講師会議があって、そこで詳細に情報を交換していた。今の塾は講師会議はないが、非公式に情報をやりとりしている。その結果、自分の知らない側面を知らされることにもなる。講師によって受講態度が全く異なる生徒も結構多い。講師を見ていたり、不得意科目だとすねていたり、得意科目だとなめていたり。担任一人で抱え込まないで、ある程度のチーム指導は必要だろう。小学校も全ての科目を一人で教えるのではなく、ある程度のチーム指導も必要ではないだろうか。
あとは教師の権威を高めることである。現在公立学校の教師の権威はボロボロだ。「政治」が教師の権威を完全に崩壊させてしまった。そして今でも「教育の再生」の美名の元に教育を「政治」に取り込もうという動きが今でもある。これでは教師の権威は永遠に戻らない。
塾で授業崩壊が比較的起こりにくいのは、目的がはっきりしている、という点もある。ある程度の目的はあるわけで、特に中学受験塾では子どもたちはほとんど疑問を持たずに目的にまい進している。これが正しいのかどうかは別問題だが。少なくともその目的を果たすために教師が必要不可欠だと思えば、付いてくるものだ。この教師についていけば、確実に点は上がる、と思わせることが必要である。この一点なくして単に面白い授業を目指しても、塾でも授業崩壊は起こる。公立学校が難しいのは、学力がばらばらの所に来て、その生徒の目的もばらばらなところだ。それはそれで非常に健全だと思うのだが、まとめる側からすれば大変だろう。