私が主人公だ

この前同僚の講師と話していて、物知りの生徒の話になった。「○○はこれについて『これは××だよ』とか言ってくるんですよ。『よく知っているな』と言っておきましたけど」とM先生は言う。私はちなみにその生徒に対して「要らんこと言わんでええ」と言った。自分がいかによく知っているかという知識をひけらかしたいのだが、生徒の知識をひけらかすことなど期待していない。どうせ私が知っている話しかしないのだから。6年くらいになると、オタクの中には詳しい話をする生徒もいる。こういうのは重宝する。しかしこちらが求めていない知識を延々と話す生徒にはもちろん「要らんこと言うな」の一言である。
生徒は「私が主人公」と思っていたりする。「一人一人が主人公」という価値観を教えられているからだろう。しかし集団指導の場ではそれでいいのだろうか。
学級崩壊の起こり方は、クラス全体が教師に反抗することでのみ起こるのではない。数人の生徒の動向でも容易に学級崩壊は起こる。数人の生徒が教師の統制に従わなかっただけで、他の生徒も拠るべき規範を失う。これが学級崩壊である。従って生徒が教師に対して悪意を持っていなくても学級崩壊は起こり得る。数人の生徒が自分の欲望に従って行動する。それを教師が押さえきれない時、他の生徒も同調するだろう。「A君は自由に動いて、なぜ私たちはだめなの?」と。一人一人が自分の思うままに行動する時、もはや集団指導は機能しない。だから一人を抑えることが肝要なのだ。
低学年の生徒に、当てられてもいないのに答えを言うのが結構いる。これは確実に学級崩壊の種だ。各人が自由に発言できる雰囲気。答えが分かったものが勝手に発言しては、もはや集団指導ではない。しかし低学年には結構いる。問題は彼らはそれを「悪」とは認識していない点である。答えが分かればそれを発言するのは、むしろ善行である、と認識している。しかしそれを放置すれば、教室内の秩序は崩れる。彼らは善行である、と認識している以上、頭ごなしにしかりつけるのはまずい。おそらく彼らはなぜ悪いのかをわからないまま、理不尽に怒られた、としか認識しない。保護者には「せっかく僕が発言しているのに先生が叱った」と報告するだろう。最近の保護者は自分の子どもの言い分を鵜呑みにするのが多いので、クレームにつながる。ここはしっかりと教え諭し、習慣づけることが必要である。数回教えてやると、だいたいは得心し、当てられて初めて発言するようになる。小さなことだが、こういう小さなところをしっかりすることが必要だ。
追記
授業に関係のある適切な内容であることは関係がない。授業に関係のある適切な内容を大声でがなり立てたりしているのも学級崩壊ではないか。問題は内容ではなく、形式である。その辺がわからない甘い人が増えているのが「なれ合い型授業」蔓延の原因であり、学級崩壊蔓延の原因である。