徴農

私は郊外のサラリーマンの家庭に育った。ついでに両親とも都市部の出身で、第一次産業に関係のある親類縁者は全くいない。
私の妻の実家は農家である。妻の実家に帰省すると、だいたい農作業をやっている。私の妻も手伝う。一家総出で農作業を行うのだ。私は、と言えば寝ころんでいる。
なぜ手伝わないのか。私が手伝うと、手伝っているのではなく、足を引っ張るだけとなるからである。最初は手伝おうとした。向こうは歓迎してくれた。しかしそもそも一から教えてもらわなくてはならない。それだけで一苦労である。向こうはそれに手を取られる。さらに私は作業が遅い。当たり前だ。やったことがないからだ。子どもの頃からやりつけている私の妻とはレベルが違う。結局手伝ったのではなく、単に一日農作業体験をやらせていただいた、ということになる。向こうにとってはプラスはなく、こちらだけが一方的にプラスになるのである。それならば私は寝ているほうが向こうの作業を邪魔しないだけましだ。ということで私は農作業を手伝うのをやめてしまった。
徴農とかいうことで、若者を一定期間農家のボランティアに派遣しようという試みが提唱されている。さらには大学入学を9月にしてそれまでの間ボランティアをやらせようという動きもある。その当否はさておくとして、少なくとも農家にとっては負担が大きくなるだろう。日本の農業を発展させるためには、私みたいな役立たずの都会育ちの若者を派遣することよりも、農業自給率を上げるように農家への所得補償制度の方が効果的なのではないだろうか。私の妻の実家周辺の動きを見ていると、今までの農業関係の補助金は基本的に土木事業に投入され、農家への所得補償には全くなっていなかった点に問題がある。結局農家も建設業に働きに行って初めて補助金の恩恵を蒙ることができるのだ。ちなみにそこは自民党の閣僚経験者の選挙区だ。よそは知らないが、一つのモデルケースではあるだろう。徴農と農家所得補償制度、どちらが金と労力の無駄か、考える必要があるだろう。
しかしとりあえず農業を手伝えばいいことした、という気になる頭でっかちにはこまったもんだ。そういう輩は親も農業とは無関係な仕事をしてきたので農業を知らないから、いい加減なことを言うのだ。もちろん私のことである。