オカヤドカリサイトの現状

オカヤドカリを飼育する時に圧倒的に困るのは情報の少なさである。とともにばらばらであることだ。書いてあることが人によって全く異なる。その原因は、結局自分の体験だけで書いているからだ。検証を行う、という姿勢がない。しかし一致団結していることが一つある。オカヤドカリ関連企業に対する反発である。
オカヤドカリ関連企業としてはトミーとマルカンが有名だ。そしてやり玉に挙げられている。事実当該企業が販売するオカヤドカリ関連のセットは不十分ではある。まず第一にこれだけではオカヤドカリの長期飼育はできない。保温のためのものが別売りである。そしてせまい。オカヤドカリを飼うには水入れと貝殻と隠れ家が必須である。それらを入れると確かに狭い。しかし隠れ家は大きくなくても何とかなる。水入れも同じである。管理がいささか煩雑になるかも知れないが、それはアクアリウム全般に共通したことである。私はベタを1.4リットル入りのビンで飼育しているが、換水は毎日100%、これをベタに負担をかけずに行うためには、種水水槽(ディスカス水槽)から水を取っている。ディスカス水槽は毎日換水するので、換水して水質を清浄にした後、ベタビンの水を入れ替える。ベタを出さずに換水するために、エアチューブで水を抜きながら、同時に水を入れていく。結構時間がかかるので水質の急変にもつながらない。と、小さな水槽では手間をかけなければならないのだ。それによって補うことは不可能ではない。収容数を抑えることも必要だ。というよりも私にはオカヤドカリを複数飼育する意味がわからない。脱皮の時に他のオカヤドカリに襲われて死亡するケースが報告されているが、脱皮が甲殻類にとって危険なのはアクアリウムの世界では常識だ。アカテガニは単独飼育が原則である。脱皮の時に襲われるからだ。オカヤドカリの複数飼育は脱皮の時に襲われるリスクを背負うことになる。私からすれば、小さな容器で飼育することよりも複数飼育の方がリスクが顕然であるような気がするのだが。大きな容器で過密飼育する位ならば、小さな容器で単独飼育するほうがオカヤドカリの安全のためにもいいはずだ。
しかし気になるのはかなり批判の内容が支離滅裂であることだ。たとえばオカヤドカリが上るためにつくられた金網。エポキシ系で止めていることを非難している。いわくオカヤドカリが食べたらどうするのか。しかしそれを言えばそもそも水槽のシリコンもあぶない。つまり水槽自体が使用できないことになる。しかしそれを批判する人は平然と水槽で飼育している。「自分は違う」とでも考えているのだろうか。もう一つ。オカヤドカリの餌に添加物が入っていることを批判している。それでは餌として推奨されているポップコーンは大丈夫なのか。「防腐剤が入っているのであまり与えすぎると長生きしません」とある。私ならば餌の添加物(着色料)よりもポップコーンの添加物(防腐剤)を問題視したい。私は無添加のポップコーンしか与えない。人間用の添加物は危険だ。特に防腐剤ははっきり毒である。それを与えておいて着色料を批判する筋合いはないだろう。確かに全く不要だとは思うが。あるいはある企業の本業を論って当該企業を批判している記事もある。しかしその本業がはっきり非合法であるならばともかく、合法である企業の業務を誹謗中傷するのは名誉棄損にあたらないのだろうか。そのサイトの管理人は外国在住なので、日本の国内法が及ばないと考えているのだろうか。その企業批判にも首肯し得るところもあるだけに、そういう「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式の誹謗中傷は、その議論の説得力を大幅に減殺する。
オカヤドカリの飼育情報がそもそも限られていることが、一方で言っていることがばらばらになることにつながると同時に、内容のばらばらさとは裏腹にメンタリティの類似性をもたらす。右に倣えとばかりにオカヤドカリ関連企業の全否定。もともとオカヤドカリの飼育情報は外国の情報に頼らざるを得ない。外国の情報を利用できる人は限られている。その人が発信する情報が広まっているのだ。その人はしかし煽る人であったらどうだろう。実際その人の歴史認識を見たが、歴史学を専門としてきた私から見れば、それは特定の情報を針小棒大に取り上げ、自分の政治的思想に直結させる人であった。同じことをオカヤドカリ関係の情報でも行っているのではないか、と邪推されても仕方がないだろう。実際オカヤドカリ関連の情報でも一人の証言を取り上げ、煽っていた。重大な情報を発信している、という自覚があれば、そういうものにも裏を取るだろう。しかし歴史認識についての姿勢を見る限り、自分の普段思っていることを権威づけるために都合の良い情報をつまみ食いしている印象を受けたし、同様の印象をオカヤドカリに関する情報にも感じたのである。しかも影響力のあるサイトだけにその情報は多くのブロガーに受け入れられ、それがまた発信されていくのである。こうして偏った情報は再生産され、ネット上での有力な情報となっていく。