ゲゼルシャフト化する学校

言うまでもなく、学校と塾とは異なる。塾はゲゼルシャフトの最たるものであり、塾に生徒は基本的に居場所を求めない。しかし昨今学校もゲゼルシャフト化しようとしているかのように見える。教育バウチャー制度に見られる「教育改革」は完全に学校を塾化しようという動きだが、それを先取りするかのような動きが高校であった。
生徒の「受験に関係ない科目を受けたくない」という声に配慮して世界史を受けずに、結果冬休みに補講を受けなければならない、ということだ。そういう声を出す生徒も生徒だが、何よりもそれを真に受ける教師がどうかしている。おそらく今でも「もっと科目の自由化を進めて世界史など受けなくてもいいようにしろ」と思っているに違いない。まあ私も生物で受験するつもりだったので、地学は全く関係がなく、しかも地学が3年生配当だったので、3年生に無駄な地学の授業を受けていた経験があるが。我が高校は地学の先生が名物先生で、授業が分かりやすく、しかも進学情報に詳しく、熱心に指導してくれるので、文科系の生徒は地学を受けるのが基本だったのだ。私はと言えば、算数レベルで思いっきりつまずいていたので、計算がなくても何とかなる生物を選んでいた。
だから世界史を受けたくない、と言った高校生の気持ちは分からないでもないが、それを説得するのが教師だろう。しかし教師に威厳がなく、受験科目と関係のない授業を行える環境になかったのかも知れない。私の高校はどちらかといえば底辺校だったので、3年生の数学はやる気がゼロだった。
学校と塾とは異なる。この当然の事実を押さえる必要がある。塾は学校の変わりたりえない。同様に学校を塾化するのも歪んでいる。
しかし反応を見ていると、塾に対する偏見が多いな、と思う。所詮すき間産業だ。