塾でのクレーム対策

塾にも当然クレームは来る。その中で対応が難しいのが講師に対するクレームである。私が現在いる塾は塾長が全部処理してくれるので、我々講師が対応することはない。しかし以前いた塾では講師も対応させられる。特に私がいた校は室長(現在はその塾では校長)が無能だったので、講師にかかる負担は結構大きかった。クレーム処理だが、その塾(Dゼミとしておく)ではマニュアルがあった。基本は保護者の講師批判に同調しないこと、だそうだ。何か言われる。「そうですね」はNG。「そうですか」と言う。そして講師についてはかばうこと。その一方でクレームの内容は確実に該当講師に周知させること。つまりクレーム処理に入った人は双方から恨まれる役割を果たさなければならない。
ずいぶん損な役回りだが、意味がある。Dゼミは講師の教室秩序維持機能が低下することを恐れているのだろう。講師批判に安易に同調すれば、子どもも講師を舐めるようになる。そうなれば教室の秩序維持は出来なくなり、結局生徒にも不利益になる。もちろん一番痛いのは、教室の秩序が崩壊することで経営面にも打撃を受ける塾なのだ。そして該当講師にクレームの内容を周知させることは、当然講師の資質低下をおそれているのである。クレームにはそれなりに理由がある。講師もそのクレームの内容を知っておくことで、自分の資質を向上させることが出来る。
現在の塾でもほぼ同様の処理が行われている。おそらく多くの塾ではそのようなクレーム処理を行っているのではないだろうか。学校ではどのようなクレーム処理が行われているのかは、残念ながら知らない。
生徒の前で講師を叱ってはいけない。講師に問題がある場合は生徒の見ていない場で叱る。これも原則だ。講師が叱られている図というのは、どう考えても講師に対する信頼性を失わせる。教室という場は教師の権威でその秩序が維持されるのだ。その教師の権威が守られないで、秩序が維持されるわけはない。それはつまるところ教育を受けている生徒の益にもならない。
教師を批判すること自体が悪いわけではもちろんない。しかし批判の仕方が問題だ。批判することと感情的な悪罵とは異なる。しかしそこの違いをわきまえることの出来ない状態で「批判」しているつもりが、「悪罵」になっているケースがないだろうか。もう一つ。親の権威を保持するためには母親は父親の、父親は母親の悪口を子どもの面前でいってはならない、という。教師の悪口を子どもの前で言っていないだろうか。あるいは子どもによる教師への不満に安直に同調していないだろうか。子どもの不満は汲み上げて教育機関に伝えるとともに子どもの不満をなだめる必要もあるのではないだろうか。それとともに子どもの不満には注意を払う必要もあるだろう。教師が加害者に回る事例も、残念ながら決して少なくないからである。塾講師による教え子殺人事件、元担任によるいじめ加担、これらには生徒及び保護者に何らの非もない事案である。どうすれば避けられたのか、という処方箋は私には思いつかないが、少なくとも現在我々に出来ることは、教師に対する子どもの不満には真剣に対峙することではないだろうか。これは決して教師の権威低下に棹さすことにはならない。むしろ安直に対処することは、子どもに対しても教育そのものに対しても危険を招きかねない。