履修漏れ問題

高岡南高校のプレスリリース時点では、「生徒の強い要望があったため」とあったので、真に受けていたが、この広がりぶりを見ていると学校主導だな、と思える。今日大学の同僚と話をしていたら「どこでもやっているよな」と言われた。同僚二人は県下トップクラスの進学校出身、私は近郊の底辺校の出身なので、その辺いささか温度差があるようだ。底辺校と言っても京都府は当時大学区制だったので、その地域の学生はある程度の成績があれば地元の公立高校に進学できた。だから多様な生徒がいた。大学への進学率は半分以下。だから受験一辺倒ではなかった。
私の頃は現代社会の始まりで、先生も何を教えていいのか悩んでいたようだ。私を受け持ってくださった先生は地理の先生だったので、ひたすら地理だ。二年生で世界史か地理を選択する。理系は地理を選択することが多かったようだ。私の頃はまだ世界史は必修ではなかった。世界史か日本史を選択する、という決まりがあったかも知れない。記憶はさだかではない。3年生では政経・倫理か日本史を選択する。文系は多く日本史を選択した。二年で世界史を選択した理系は多く政経・倫理を選択したようだ。現在は地歴科と公民科に分かれているようだが。社会科が地歴科と公民科に分かれたことと、世界史が必修になったことに関しては、当時歴史教育問題に携わっていた私としては因縁浅からぬ問題なのだが、ここでは捨象する。
私にとって問題だったのは数学だ。一年で数学1を履修し、二年で基礎解析が必修、代数幾何は選択しない人は小数居たが、ほとんどが履修した。三年で確率統計。これがきつかった。私は数学が全くダメ(数1の一学期の中間テストが百点満点の五点だった時には素で引いた)なのだが、一応国公立大学を目指していたので(これは無謀だった)、共通一次を受けなければならなかった。数1は必修、基礎解析、代数幾何、確率統計から二つ選択する、という方式だった。基礎解析と代数幾何を履修すれば何とかなる。三年では負担となるだけの確率統計を回避しようとしたのだが、確率統計と並んでいた科目が体育か音楽か美術か工芸か食物だったのだ。頭も空っぽだが肉体的にも手先も不器用な私にはどれも確率統計と同じく負担にしかならない。真剣に食物を選択しようと思ったが、どう考えても女子の中に混ざる勇気はなかった。私が入ったらただの変態オタクだ。これは正しかった。後日友人(やはりでぶオタク)と話していたら、私と同じことを考えていた。結局確率統計を選択した。三年生の大事な時に確率統計。これはきつい。一応確率統計だけではなく、必要に応じて基礎解析は代数幾何に関する基本的な問題を復習したりもしてくれたが。
理科もきつかった。理科は理科1が必修、二年で生物と物理、三年で化学と地学を選択する。根っからの文系である私はもちろん生物と地学を選択したが、地学も分野によっては苦手だったので、受験は生物と決めていた。三年生に無関係な地学。これもきつい。地学は名物教師だったので、多くの文系受験生は地学で受験するのが正道だったようだ。私もその先生から地学での受験を勧められたが、やがて誘われなくなった。私は地質にはめっぽう強いのだが、天文がからっきしだめなのだ。
で、最初の話に戻るのだが、進学校出身の人から見れば「有り得べき話」がなぜ今になって出てきたか、だ。いろいろな話は私の周囲でも語られているが、あくまでも内輪のうわさ話なのでここでは触れない。ということで勘弁していただきたい。これが全くの都市伝説であれば困るからだ。