選択式問題のヒント

選択式問題では明らかに違うものを外すのがポイントだ。完全に一致させると誰でも解けるので、選択肢に書かれている文章は問題文とは微妙に趣旨がずれている。これがわざとの場合もあるが、中には問題作成者が誤読しているケースもあるのはご愛嬌だ。
明らかに違うパターンとして挙げられるのが、「絶対に」とか「完全に」という字句が入っているケース。これは議論において全肯定、全否定は成り立たない、というのと同じことである。レポートや小論文を書く時にもその点に注意する、とは私が予備校時代に言われたことである。問題文でも自分の文章でもそうなっていないか、注意しよう、と書かれていた。今、大学生にも小学生にもそれを教えている。
藤田東吾社長に関する週刊誌の論調を並べてみよう。
週刊新潮は藤田社長を完全否定。週刊ポスト週刊現代は積極的に取り上げ、週刊文春は奇矯なところもあるが、当たっている可能性のあるところもある、としている。一見ポストや新潮や現代が目を引くし、議論する場合もそういう一方的な論調にしたくなる。文春みたいに双方の言い分をそれなりに配分していると、目を引かない。しかし実際に背景が分からない以上は安全策としては文春型が上手いのだ。もちろん売れることが重要な週刊誌では文春のようなどっちつかずの記事はよくないのかも知れないが、レポートとか小論文とかは別に売れる必要はない。双方の言い分を折中することが一つのこつである。
これは作文の時にも使える。「しかし」の効用である。自分の主張を打ち出す時に、自分の意見とは異なる見解を解説し、その論のよいところを論って後、「しかし」と付けて自己の論を展開する。その方がいきなり自分の論を打ち出すよりも説得性が増す、というテクである。
しかし藤田東吾氏もせっぱ詰まっているのは分かるが「奇矯」と受け取られかねない言動は少し自粛した方がいいのではないか。「奇矯」とされる言動ばかりが報道され、歪曲されてしまっているような気がする。この見解はマスコミで流れている藤田氏に関する報道内容ではなく、藤田氏ご自身の主張を関係サイト、例えば頑張れ藤田東吾(イーホームズ藤田東吾社長を応援します)とかに収載されている藤田氏の議論を拝読しての感想だ。どこが、とか、どうすれば、というのは面倒くさいので気分が向けば追々取り上げたい。表現の添削対象としては結構いいネタだと思うので。ただ次から次へと増えているので追いつかない、という事情もあって、実現可能性は低い。