国語の問題文のクリッピング

今日の国語の授業の教材で少し関心を引いた文を。木村龍治氏『自然をつかむ話七話』より。
ユリ・ゲラーが来日した時、出演者の一人が発言する。「自然科学の原点は、先入観をもたず、現前で起こったことを素直に事実として認めて、そこからスタートすることである。スプーンが曲がったのは疑いもない事実なのだから、それを前提として議論を始めようではないか」
それに対し東京工業大学の桶谷繁夫氏が反論する。「指でこするだけでは鉄は曲がらない。タネはわからないが、奇術に決まっている」と。
一見前者の意見が客観的で、桶谷氏の議論が先入観丸出しに見える。しかし木村氏は桶谷氏の意見に説得力を感じる。その理由について木村氏は次のように説明する。

自然科学は、宗教的な信念ではなく、経験を土台にしています。しかし、その経験は、スプーンが目の前で曲がるのをみる、というような個人的な経験とはちがうのです。自然科学の土台にあるのは、多くの研究者によって踏み固められた経験の集積です。

自分の経験を絶対のものとして把握する一見「合理的」な考えに私も陥りがちかも知れない。横着して過去の研究史を安直に否定するのは控えよう。