イチャモン

朝日新聞の本日の紙面より。
大阪大学の小野田正利氏は学校に対する無理難題要求を「イチャモン」と定義する。そのイチャモンが出てくる背景に「言ったもん勝ち」に風潮を挙げ、その典型が学校現場に現れている、と分析している。
なぜ無理難題要求が学校に押し寄せるのか、について小野田氏は仮説を立てる。
1 日本の学校が教科指導以外に「生徒指導」をも担当するために苦情の受け皿になる
2 ステレオタイプ化した報道により学校や教師への過大な要求と徹底的な批判が増幅されている
3 場当たり的な教育政策が「学校不信」を生んでいる
というのを挙げ、さらに保護者の意識と行動の影響も指摘する。
現在の保護者の多くは1960年代以降の生まれ。つまり私と同年配だ。大学紛争の反省から生まれた管理教育を受け。自分で考え、行動するよりも「してもらう」ことに慣れている、という。確かに「新人類」という流行語の定義と合致する。一方で「金八先生」を理想化し、学校への期待が大きくなっているという。
家庭の教育機能の低下を学校が補わされている面もあり、さらに「教育改革病」とも言える教育政策の迷走が学校を疲弊させ、教師から体力を奪ってきた側面もある、という。仄聞する範囲では教師は会議と報告書作りに追われ、教育にじっくり取り組む余裕を失っている、という。
塾は基本的に教科指導を期待されている側面が大きいので、まだ矛盾は顕在化していないが、小野田氏が挙げた教育現場の危機の種は胚胎している。最近は塾に生徒指導を期待する声も大きい。そもそも生活指導から入らないと塾のカリキュラムをこなせない生徒が進学塾にも入ってきている。まして成績の範囲の広い総合塾や成績不振者を対象にする補習塾・救済塾になるとさらに厳しい状況だろう。成績が不振な生徒は家庭にも大きな問題を抱えているケースが多い。その問題とは別に深刻な問題では必ずしもなく、例えば三年生の期末テストの直前に家族でハワイ旅行に行くという「微笑ましい」ものもある。それで塾に預けておけば勉強は大丈夫と思っているのだ。確かに「微笑ましい」家族である。しかしそういう家族と向き合う塾は疲弊する。私も経験はある。小学校のカリキュラムすら消化できないのに親は過大に期待する。しかし夏休みの日程に文句をつける。「子どもがかわいそう」だと。確かに「かわいそう」だ。私が親なら確かにいやかもしれない。しかしその親はどうしても私立中学校、それもかなり上位の中学校に入れたいという。それならばそれだけのことはしなければならないし、家庭にも協力していただかなければ出来るわけがない。ちなみに「なれ合い」の室長はその生徒を徹底的に教えて何とかなりの上位校に入れた。正直すごい、と思ったが親は不満なのだとか。
塾でもトップが訳の分からないカルトに振り回されると、下は苦労する。S学園というカルトまがいの進学塾の元理事を顧問に迎えて、カルト的な指導方法を入れた私のかつてのバイト先は現場はかなり混乱していたはずだ。私がバイトしていた二年間はその塾の試行錯誤の段階で、ずいぶんいろいろいじくられた。まあよい体験だった。今は落ち着いているようで、S学園の元理事も切ったようだ。ああいうカルトに振り回されてはいけない。現場は疲弊する。