けたぐり考

出そろったので少し考えたい。

内館牧子委員は「けたぐりは言葉自体にも品がなく、横綱がやるべきことじゃない。さらに取組後に“先場所(稀勢の里に)負けているから”と言ったのも問題。それなら真っ向から受け止めなさいと言いたい」と批判。(デイリー)
内館牧子委員も「けたぐりという言葉からしてあの品格のなさは何なんだと思う」と激怒した。(スポーツ報知)
内館牧子委員(脚本家)は、最後の仕切りを終えたあと、左手で締め込みを強く叩く朝青龍の動作を、「みっともない」と発言。だが、日本相撲協会北の湖理事長(元横綱)は「相撲を終えたあとの動きは直せるが、(一連の)前の動きは簡単にはいかない」と説明、理解を求めた。(サンケイスポーツ
内館牧子委員(脚本家)に至っては「けたぐりという言葉自体、品がない」と話し、果ては朝青龍が制限時間を迎えた時まわしをたたく所作に「横綱がみっともない」。これには北の湖理事長が「取組直前の所作については直せないし、あれがなくなったら終わり」と苦笑い。(毎日新聞
内館牧子委員は、「蹴手繰りなんて、そもそも語感が汚いわね。横綱が、『先場所、負けてるから』なんて言ったそうだけど、横綱の発する言葉じゃない」とピシャリ。(読売新聞)

今のところネットで検索できる記事はこれくらいか。
横綱がけたぐりを使うな、という議論は、私は同意はしないものの、そういう議論も当然有り得べきだろう。しかし内館牧子氏が本当に「けたぐりという言葉」への批判を口にしたのか、私は疑いたい位なのだが、本当に言ったのであれば、そもそも氏が相撲界に携わる「資質」があるのかを問題にしたい。なぜなら「けたぐり」そのものに批判をするのは的外れである。
例えば舞の海秀平小錦八十吉にけたぐりで勝った、とする。私は小兵の舞の海が巨漢力士の小錦をけたぐりで破る、というのは相撲の一つの醍醐味だと思うのだが、内館氏は「下品」と評するのであるから、これも「下品」なのだろう。けたぐりそのものを否定する内館氏が横審委員という重責にふさわしいのか、相撲協会は考えるべきだろう。
内館氏の朝青龍明徳に関する発言には、現在の「言論」状況に通じるものがある。内館氏はとにかく朝青龍が気に入らないのだろう。分からないでもない。私は割合好きだが、嫌いなものを評価せよ、とも思わない。私に巨人を評価せよ、と言われても無理である。しかし横審委員という場は、自分の好き嫌いを表明すべき場ではあるまい。横綱がけたぐりを使ってでも勝ちたい、というのを「下品」と批判するのは有り得べき議論だ。しかしまわしをたたく動作を下品、という個人的好悪を横審という公的な場で表明するのは違和感がある。北の湖理事長も「苦笑」したのは、そういう違和感を理事長自身も感じていたからだろう。それとも横審というのは個人的なおしゃべりをする気楽な場なのだろうか。そうではあるまい。*1
内館氏は以前にも北の湖理事長を困らせる発言をしていた。朝青龍が左手で懸賞を受け取る所作について「伝統に反する」と発言した。しかし北の湖理事長は「懸賞を土俵上で受け取ること自体戦後のこと」と内館氏の「伝統」論に反論した。しかし内館氏はその後も「伝統」と言い続けた。氏の「伝統」とは「自分の頭の中の伝統」でしかないことが暴露された瞬間だ。こういう手合はしかし現在目に付く。まさに「言ったもん勝ち」。己の好悪をそのまま善悪に横滑りさせる。自分の嫌いなことは悪、自分の好きなものは善。これではしつけの悪いわがままな子どもではないか。
報道されている内容で判断したが、内館氏の「発言」がガセであることを願うものである。
追記
中日新聞を見ていたら以下の記事があった。

内館牧子委員は「委員は全員が激怒した。下の者が上の者にやることであって、横綱がやることではない。『品格にかかわることだ』と委員全員の意見だった。先場所負けているからという朝青龍のコメントも、横綱の発する内容ではない」とバッサリ。(中日新聞

これならば理解できる。一応記しておく。内館氏の発言が中日新聞の通りであることを願うものである。

*1:最近反語表現を知らない「小学生」がネット「言論」界に増加しているようなので、一応付けておかなくては正確な意味が伝わらない。