掲示板

「幼い」書き込みがアクアリストの設置する掲示板においても問題になっているようだ。中には18歳未満お断り、というのもある。もっとも18歳未満でも優れた書き込みをする方もいらっしゃるだろうし、逆に年齢は大人でも子どもみたいな稚拙な書き込みしかできない、とい方もいらっしゃるだろう。多くの管理人が頭を痛める書き込みとは、「いきなり質問」である。いきなり用件を切り出すのは、「大人」の世界では確かに無礼で、普通は自己紹介やら挨拶やらを経て質問を行なう、というのが普通なのだが、いきなり「○○はいくらでしょうか」とか「おすすめの種類は何ですか」とか質問してくる。
こういう「いきなり質問」の頻出する背景を考察すると、「匿名(黒木ルールにおける)」問題に至るのである。匿名と言っても実名の対義語としての匿名ではない。黒木ルールとは黒木玄氏が自身のサイトの掲示板に適用した「匿名による批判を禁止するルール」「匿名」による批判の禁止ルールについてのことであるが、黒木ルールにおける「匿名」とは「自分自身の趣味・嗜好を明らかにせず、自分の所属も E-mail address も web site の URL も公開してない」ことを示す。
このルールを設定した動機について黒木氏は次の二つを挙げる。
1 自分の実名や所属を公開しないことの利点をできるだけ保ったままどうしようもない匿名者を排除するにはどのようなルールを設定すれば良いか。
2 コミュニケーションの質を上げるにはどうすればよいか。
まず氏はネット上で自分の実名や所属を公開することへの恐怖は当然の感覚である、とする。しかし「匿名の安全圈からどうしようもない行為を繰り返す人たちにまで平等に発言権を与える場を設定しても、私が欲しているような質の高いコミュニケーションは不可能であろう」とも指摘する。そこで「匿名」の定義を変更し、ネット上で己の考え方、趣味、嗜好を明らかにしていない、という条件を「匿名」と設定した。しかしネット上においてそのような表現をしていない人々を排除するのも行き過ぎだ、ということで「匿名による批判を禁止する」という黒木ルールが設定されたのである。このルールは「見当違いの批判を行った者は十分に恥をかくことによって責任を取るべし、という観点から定められた」とのことであるが、その点を黒木氏自身のサイトからもう少し詳しく見ておこう。
黒木氏は以下のように述べる。

「匿名」による発言とそうでない発言を平等に扱うことは、「匿名」でない発言者にとって不平等な状況を作り出します。なぜなら、「匿名」の発言者は失敗しても失うものがほとんどないので、普段だったらできないような暴言を吐くことが自由にできるからです。「匿名」の安全圈に隠れていれば、そのような暴言によって受ける被害は大したことがありません。しかし、自分自身の考え方や趣味・嗜好を表現するためにかなりのコストをかけている人 (すなわち「匿名」でない人) はそうではありません。しかも、受けた害と同等の害を「匿名」の暴言者に与えることによって反撃することもできない。このような理由によって、「匿名」による批判をも平等に扱うことを義務付けられた場所における論争に「匿名」でない人は参加し難くなります。

さらには

議論で恥をかくというのは他人に「こういうアホなことをいう人だったのね、これじゃあ他の発言も要注意だとみなした方が良さそうだな」とみなされてしまうことです。大事な点は自分の発言に対する評価が他の場所にもついてまわることです。そうでなければ匿名の安全圈から好き勝手に馬鹿なことを言う行為の抑止になりません。
発言した場所以外にもその発言に対する評価がついてまわることになるような自己紹介をした人だけが恥をかけるだけ十分に自己紹介したことになるのです。

とも述べる。
また「内容至上主義」つまり議論は誰が発言したのかではなく、内容に基づいてのみ行なわれるべき、という立場に対しても黒木氏は批判を加える。内容至上主義は常に正しいとは限らないし、また内容至上主義が匿名による言論を正当化するわけでも無い。例えば利害関係がからむ議論では誰がその発言をしたのかが非常に重要である。また発言内容の解釈には発言者の情報がある程度必要であり、コミュニケーションにおいて余計な負担が課される。これについての黒木氏のまとめは以下の通りである。

議論におけるコミュニケーションのコストを低く見積るのは誤りです。自分が何を言いたいのかを相手に伝え、相手が何を言いたいかを理解するのは、おそろしく大変なことなのです。 (それが簡単だと思っている人は深い議論をしようと思ったことがないに違いない。)

お互いに相手がどのような知識を持っていてどのような性格であるかをよく知っているとコミュニケーションは非常にスムーズに進みます。

「匿名」であるか否かは発言の内容には全く関係ないという考え方は、コミュニケーションのコストを不当に低く見積ることによって、有益で深い議論への道を閉ざすことに繋がっているのです。

黒木氏は最後にこのようにまとめる。

以上の問題について普段の生活ではどうしているかを考えてみました。 (一般にネット上は特別だという発想では良いアイデアは浮かばないことが多いと思う。) 普段の生活で知らない方を相手にするときには必要に応じてその場でもしくは別の機会にその方が誰なのかを尋ねてみるのが普通です。そのやり方をそのまま使うことが上の問題良い解決方法である可能性があります。

黒木氏の以上の指摘は、現在掲示板を運営しているアクアリストの悩みへの一つの指針となるであろう。「普段の生活でどうしているか」である。きなり質問してくる、という姿勢は「普段の生活」における「礼儀作法」が欠けている証左であろう。その意味で、最初に述べたポリプサイトにおける「18歳未満書き込み禁止」という規定は、「普段の生活」の礼儀作法がわからない「匿名」の人々を排除したいのだ、というサインなのだろう。その多くが年少者であることから「18歳未満書き込み禁止」となったのであろう。
ポリプテルスという魚種は割合年少者の熱心な飼育者が多いのか、変に荒れるケースが多いようで、別のサイトでは「議論板」として「荒れる」場所を設けているケースがある。これも一つの解決策だろう。
年少者そのものが悪いわけではもちろんない。現実には18歳未満でも礼儀正しい人もいるし、40歳過ぎて社会的地位もあるのに、社会常識が欠落している人もいる。「18歳以上の方を対象」という規定は、社会常識を問うているものである、と考えられる。その意味ではある意味「黒木ルール」と共通するところがあるのか、と思い、今回少し考察を加えて見た。
ちなみに現在匿名による「言ったもん勝ち」の風潮がネット上において支配的となっている現状、黒木ルールは再考される価値があると思う。