北海道のキハ55

1973年10月のダイヤ改正で札幌と室蘭を結ぶ急行「ちとせ」が大増発された。最大11往復体制だった「ちとせ」だが、11往復に増強されたのはこの改正である。キハ56系が多くこの前後に苗穂機関区に転属しているのは「ちとせ」大増発に備えてのことだろう。しかしそれでも足りなかったのだろう。キハ55系が7両、本州から転属してきた。
キハ26−1 竹下に新製配置後、鹿児島、敦賀を経て苗穂に配属。
キハ26−4 竹下に新製配置後、長崎、岡山、米子、千葉、美濃、敦賀を経て苗穂に配属。
キハ26−118 盛岡に新製配置後、尻内、函館、千葉を経て苗穂に配属。
キハ55−5 宇都宮に新製配置後、名古屋、岩国、竹下、高松、七尾を経て苗穂に配属。
キハ55−10 宇都宮に新製配置後、広島、鹿児島、高松、秋田、千葉、陸石、沼津、七尾を経て苗穂に転属。
キハ55−24 田端に新製配置後、岩国、敦賀を経て苗穂に転属。
キハ55−164 水戸に新製配置後、松本、名古屋を経て苗穂に転属。
キハ55−222 鹿児島に新製配置後、都城、千葉、敦賀を経て苗穂に転属。
この中で注目すべき点としてはキハ26−118が函館に配属されていたことがある、ということだ。65年から69年までかなり長期間になる。苗穂に来る直前の配置を見ると、敦賀が4両、七尾が2両、名古屋と千葉が一両ずつとなる。七尾配置のキハ55はおそらく七尾線のローカル輸送が中心だったのだろう。敦賀のキハ55、キハ26は小浜線ローカル仕業が中心だったと思われる。名古屋は関西本線ローカル、千葉は房総各線のローカル仕業が中心だったようだ。一部急行「能登路」や「わかさ」「大社(福井編成)」「のりくら」「おくみの」に使われることもあっただろう。