12年目

私の勤務先は西宮市にある。私がそこに行き始めたのは1996年の2月、震災の一年後である。一応交通機関は旧に復していたが、震災直後は大変だったようだ。私がその塾で働き始めた時にはまだ震災のツメ跡があちらこちらに残っていた。がれきの山がまだ片づけられずに残り、あるいは空き地が方々にあった。空き地は徐々に駐車場になり、そしてそこにビルが建ち、昨年暮れから最後の空き地に賃貸マンションが建つようで、私の通勤路(といっても徒歩3分)の震災がようやく終わりを告げることになる。
私の通勤路は比較的早くに震災からの復興をなしとげた地域であるにも関わらず、そして私は3分程度の徒歩時間しかないにも関わらず、震災のツメ跡を11年間見続けてきたことになる。当時の塾生で亡くなった生徒はいなかったものの、OBでかつ塾生の姉が亡くなったそうだ。自宅が倒壊し、姉が亡くなった直後に受験を控えていたその生徒は塾で最後の追い込みをかけ、志望校に合格したそうだが、現在大学生のその生徒はアチェの復興ボランティアのために奔走している。全く以て頭が下がる。