北海道のキハ55

北海道にキハ55が入るのはこれがはじめてではなかった。1960年夏シーズン、急行「すずらん」をディーゼルカーに置き換えたことがあり、その時投入されたのがキハ55だったのだ。キロ25を2両連結した堂々たる編成で、しかも全席指定というデラックス版として登場したのだ。所要時間も従来の客車急行よりも一時間近く短縮し、ディーゼルカーの威力を遺憾なく発揮した。しかし東北以南用のキハ55は冬季の使用には適しておらず、十月に入るとキハ55は本州に引き上げ、北海道用の一般型ディーゼルカーキハ22が投入された。しかし二等車はキロ25のままで冬を越した。
春になると新製のキハ56系列が「すずらん」に投入されることとなった。
ここでキハ55系とキハ56系について見ておこう。
キハ55は準急型と言われるディーゼルカーである。基幹形式のキハ55はエンジンを二つ搭載した二等車、キハ26はエンジンを一つ搭載した二等車である。一等車はキロ25。一等二等合造車としてキロハ25があった。「すずらん」用としてわたってきたのはキハ55とキロ25であり、少数のキハ26があったようだ。もともとローカル専用として開発されたディーゼルカーが幹線の優等列車に進出しはじめた最初の形式である。従来ディーゼルカーはエンジンが非力だったこともあり、小型の車体で、車内設備も貧相なものであったが、機関の改良により車体も大型化し、優等列車として使用しても遜色ないレベルになっていた。具体的に言えば、それまでのキハ17系のシートは小さく、ひじ掛けもなかったが、キハ55ではひじ掛けも設置し、シートも大型化して急行列車用の客車と遜色ないレベルにまで向上していた。一等車は準急型ということで、比較的短距離の旅客を想定したために、並ロ仕様としている。当時一等車には特ロと並ロが存在した。並ロでも当時準急として使われていたサロ85などは、シートピッチを広く取った4人向かい合わせの座席だったのに対し、キロ25では特急と同じ回転型座席を特急よりも広い970mm間隔で並べていた(特急は当時910mm)。当初は東京−日光間の「日光」に使われ、さらに名古屋−湊町の「かすが」にも使用され、日本全国で使われるようになった。
しかしディーゼルカーが急行列車にも使われるようになるとキハ55では見劣りがするために、新たな急行型ディーゼルカーの開発が急がれていた。中でも北海道地区にはキハ55では冬季の使用に支障が出るため、北海道地区用のキハ56系から開発が進められた。ついでアプト式のラックレール(急勾配を上るための歯車型のレール)と干渉するためにキハ55系が入線できなかった信越本線用のキハ57、そして東北以南用のキハ58系が相次いで開発された。
キハ56系は北海道の低温に対応するために窓を二重窓にしたのが最大の特徴である。車体もキハ55よりもさらに大きくしてゆとりをもたせた設計になっていて、長距離輸送に対応した居住性を確保した。基幹形式のキハ56はエンジン二台、キハ27がエンジン一台それぞれ搭載している。特に一等車のキロ26は特ロ仕様となった。座席が1160mm間隔で設置され、キロ25よりもさらにゆったりした座り心地を確保、レッグレストやひじ掛けに小さなテーブル、さらに座席もリクライニングとなるなど、特急用の一等車と同様の設備を備えることになった。1961年4月、「すずらん」の運用がキハ56系列に置き換えられ、北海道からキハ55系は姿を消した。
本州以南でもキハ58系によってキハ55系は急速に働き場所を失った。このころから比較的長距離の準急が急行に置き換えられることが多くなり、準急用として造られたキハ55も急行にも使われていたが、キハ58系に比べ、居住性に難があるキハ55系はやがてもてあまされることになる。信越本線用のキハ57系は機関形式がエンジン二台登載のキハ57、一等車がキロ27.勾配線区を走る特性から、エンジン一台の三等車は造られなかった。特徴はラックレール対策に空気バネ台車を履いていることである。
キハ58系は基幹形式のキハ58とエンジン一台タイプのキハ28、一等車のキロ28と少数派のエンジン二台タイプのキロ58からなる。特にキハ58はこの形式だけで800両を越す両数が生産され、全国の非電化区間を急行ネットワークで覆うことになっていった。
キハ58系列の大躍進の裏でキハ55系はローカル仕業が中心となる。準急は1968年までには完全に廃止になり、元来優等列車用として開発されたためにドア幅も狭く乗降に難があるということで、大都市でも使いづらかったようだ。たまに急行列車にまじっていたりするが、基本はローカル運用だった。
キロ25は格下げされ座席はそのままで普通車になった。1966年には等級制は廃止になり、普通車とグリーン車となったが、キロ25は比較的早くに普通車格下げが行われ、キハ26−400番台となった。ちなみに同じく準急用として開発されたサロ153はサロ111に格下げされ、東京近郊や関西地区の快速列車に連結されることとなった。
そのキハ26−400番台はさらに通勤仕様に改造され、筑肥線の通勤列車にも使われていた。現在そこの通勤輸送はJR筑肥線と相互乗り入れしている福岡市交通局が担っている。
大都市近郊に残った非電化区間の通勤用やローカル線の普通列車運用が主体となり、たまに運用の都合で急行運用が入るものの、確実に避けられていたであろうキハ55系の最後の急行運用が北海道という、ある種キハ55にとっては過酷な地で再開された事情は何だったのだろうか。