レイアウト作成に向けて

結局レイアウトにした。ミニ鉄道模型セットを衝動買い。あとはポイントセットを買って引き込み線を二本付けた。あとは架空鉄道を創作するだけ。北海道のキハ55の時に史料の出典となった安曇野電鉄のサイト、安曇野電鉄も魅力的なコンテンツで、思わずパクりたくなる内容。
架空鉄道を考えている最中に目に付いたのが名古屋急行電鉄。何でも西向日から名古屋にまで鉄道を建設しようという壮大なる計画。まあ新京阪鉄道がもともと名古屋延伸を考えていて、そのため、希有の性能を持つ100系を製造したのは有名な話なのだが、その背景に鉄道大臣小川平吉の暴走があったことは知らなかった。調べるととんでもない人物。「国粋主義者」で有名な人らしいのだが、同時に5私鉄疑獄事件で有罪となった「汚職政治家」でもあったのだ。「悪党の最後の隠れみのが愛国者」とはよく言ったもので、愛国を呼号する人物の中にはこういう俗物もいる、ということだ。こういう政治腐敗の横行が政党不信を生み、5・15事件につながっていったようだ。立憲政友会の大物で、京阪電気鉄道の社長も政友会の大物だったのでずいぶんとばっちりを食ったようだ。
この名古屋急行電鉄、そのまま眠らせるのは惜しいので、架空鉄道で妄想を繰り広げるか。
西向日で新京阪鉄道、後の阪急電鉄京都本線と分岐し、伏見、山科を経て大津の馬場までが新京阪鉄道の免許、馬場から草津八日市永源寺を経て三重県菰野町から現在の近鉄の北部を通り、名古屋駅に入る、というルートだったらしい。結局新京阪鉄道はもともと過疎地域の淀川西岸を走っていた上に、親会社京阪電気鉄道の積極投資が裏目に出て、世界恐慌で経営危機に陥り、新京阪との経営統合をせざるを得ない状況になり、1935年には免許も失効、1943年には阪神急行電鉄と合併、阪神急行が存続会社となり、京阪神急行電鉄が発足した。戦後の1949年には京阪電気鉄道京阪神急行電鉄から分離するも、新京阪線京阪神急行電鉄に残り、阪急京都本線となる。
ここから色々な妄想を膨らませるのが架空鉄道の醍醐味。もし名古屋急行電鉄計画が動いていたらどうなっていたか、を考えれば結構面白いのだ。何人かで考え、そのバリエーションを比較するのも楽しいだろう。私は阪急ファンなので阪急よりに話を組み立てるだろうが、京阪ファンならば、とか、実は現在近鉄京都線となっている奈良電気鉄道は戦前には近鉄と京阪の合弁会社だった、とかいうことで、近鉄ファンにも介入の余地があったりする。
私の場合、今手元にある電車が鉄コレ中心、さらに阪急900系920系と近鉄10000系、阪急2800系。あと近鉄10100系を予約している。これらを包括した物語を作るか、と思ったが、近鉄の10000系は半径140mmのカーブを曲がれないことが判明。連接構造になった真ん中の3両は全く無理。ということはKATOの10100系も無理だろう。連接車に急カーブはきつい。本物の連接車はカーブに強いはずだが。前後の4両だけの編成ならば何とか走るが、異音がする。どこかが線路に接触しているのだろうが、老眼持ちには原因の究明は難しい。