朝日新聞の2月1日付けの夕刊に広田照幸氏が書いていたこと。関西地区では当該欄には別の記事が載っていた。
記事はこちらを参照いただく「http://d.hatena.ne.jp/serohan/20070202#p1」として、概要を纏めると次のようになる。

現在教育改革が急がれている背景には教育への不信がある。しかし不信感に基づく教育改革は決して教育をよりよいものにはしない。
教育への不信を煽ってきたのはメディアで、落ちこぼれや管理教育、いじめ、校則、体罰と次から次へと「ネタ」が発掘され、煽られてきた。その結果困った事態が二つ引き起こされた。
一つは少数の事件がセンセーショナルに取り上げられることで、多くの学校や教員の取り組みが隠されてしまう。
もう一つは教育行政が改善策を採るたびに教育現場は追いつめられる、ということである。
その結果燃え尽きようとしている教員が多量に出る危険があるということである。
金をかけずに、非難や恫喝で動かすのではなく、条件整備を急ぐ必要がある。

少数の事件をセンセーショナルに取り上げて、視聴率を稼ぐのはマスコミの常道であり、バッシングによって共感を得ようとするのもマスコミの常道だ。問題はそれに躍らされることの危険で、「世の中はこんなに教育が荒廃しているんだ」という洗脳にかかってしまうことだ。
もう一つの教育行政による教育現場の疲弊は、私自身はあまり体験することはないのだが、教員関係者は大変だろうと思うことが多々ある。新しい試みに振り回され、生徒と向き合う時間がとれない、というのは多いようだ。私自身も以前にバイトしていた塾では、つまらない事務に忙殺された経験はある。バイト講師でもそうなのだから、まして正社員の講師は大変だっただろう。新しい試みが上から導入される度にその準備に追われるのだ。上は思いつきで適当なことをいって指示を出せばいいのだが、現場はたまったものではない。さらにその報告が大変なのだ。
苦情処理も大変である。マスメディアに洗脳された人々が学校にさまざまな問題を捻じ込みに来る。
燃え尽きようとしている、と言えば、それなら辞めろ、という声が聞こえてきそうだ。私など、最初から公教育に携わる気が全くなかったので、「止めておけ」とは言えるが。
大学時代、同級生に「教員免許を取った方がいいよ」とはよく言われた。「生徒と接すれば違ってくるよ」とも言われた。しかし私は「生徒への愛情だけで勤まるほど教師は甘いものではない」と思っていた。当時は管理教育が問題化しており、学校現場で管理教育に加担するのがいやだったのだ。今、別の意味で公教育に携わらなくてよかった、と思えたりもする。何しろへたれなもので、あんな状況に陥れば私など速攻燃え尽きそうだ。だから止めておいて正解だった。件の同級生は今でも公教育現場で頑張っている。頭が下がる。