「わからない」補遺

先日の大学生の「わからない」問題だが、私のところに「なぜアイヌなのかわかりません」という質問を直接にぶつける学生もいる。こういうのは大変素晴らしい姿勢であることは言うまでもない。こちらもより丁寧に日本史におけるアイヌ史の位置づけを学説史に遡って詳しく教えることもできる。問題はアンケートに書いてくることが多いのだ。それも「なぜアイヌ史をやるのかわかりません」というよりも「日本史でアイヌ史をやることは科目名と乖離していないか」というクレームである。漠然と「難しすぎる」というクレームも多い。そこが問題だと思うのだ。「わからない」のは仕方がない。むしろ「無知」だからこそ新たな知識を吸収することもできる。しかし無知に居直って、自分の知識だけが正しい、自分にわからないのは講義のレベルが難しいからだ、だからレベルを下げろ、と臆面もなく要求できるところに問題を感じている。それに関連すると思うのだが、今の学生に多いのは、大学に自分の知らないことを学びに来ているのではなく、大学に自分の知識を再確認に来ているパターンである。そして自分の知識に合わないことは「難しい」「レベルを下げろ」「なぜこうなるのかわからない」とアンケートで書いてくる。アンケートでクレームを付けるのは必要なことであるが、同時に教師のもとに直接疑問をぶつけて欲しい、とも思う。
以前にも書いたが、私の元に「先生とは思想が完全に対立します」と言ってきた学生がいた。確かに違うようだったが、レポートは素晴らしい出来だった。その学生も自分なりに色々考えたのだろう。こういうことを通じて学生も成長するだろうし、教師も刺激となり、自分の視野を広げるきっかけになるのである。アンケートで言うだけではなく、教師の元に積極的に質問に行くようにすることを是非おすすめする。
なんてことを言っておいて、実は私は教師の元に質問にいくことはほとんどなかった(苦笑)。