飛騨屋久兵衛論序説

飛騨屋久兵衛について論ずることはアイヌ史に関する叙述を行なう上では意味があると考えている。要するに飛騨屋という「悪魔」を作り出して、アイヌの歴史を叙述することに対する疑問である。飛騨屋を「悪魔」として分類する歴史叙述が、逆にアイヌに対する場所請負制支配を正当化する醜悪な歴史叙述の下地となっている、と考えるからである。その点を少し考えたい。
小熊英二氏は『〈日本人〉の境界』(新曜社、1998年)の「結論」の項目で次のように言っている。

この世界を「神」と「悪魔」に分けてしまうことは、必ず神話をつくりだし、憎悪と蔑視の対象を生み出さずにはおかない。そのとき、抵抗の論理だったはずのナショナリズムは、いつしか「有色の帝国」への道を歩き出す。みな自分だけは過ちをしないと信じながら、業が業を生み、悲しみが悲しみをつくる輪から抜け出せない。だがいうまでもなく、現実の人間は神でもなければ、悪魔でもない。国民国家によって設定された境界に沿って神や悪魔の像をつくりだすのは、みずからのアイデンティティの揺らぎから逃れるために、帰依や排除の対象を生み出そうとする我々自身のはずである。

ここで一つの概念が出ている。「有色の帝国」である。私はこの「有色の帝国」概念に非常に多くの視角を学んだ。小熊氏による「有色の帝国」の定義は以下の通りである。
小熊氏は本書の中で、近代日本の論者たちを取り上げてきた。その総括として「有色の帝国」という概念を提起する。

近代日本の論者たちは、自分たちが「欧米」や「白人」から差別と侵略の脅威にさらされている「有色」人であるという自己認識と、支配地域を有する「帝国」の一員であるという自己認識のあいだで揺れ動いていた。

そして「このような両義的な位置の中で揺れ動く支配のありようを、ここでは「有色の帝国」と名付けたい」とする。
小熊氏によると「有色の帝国」は強者への憧れと対抗意識の中で揺れ動きながら支配を行なう状態を指す、という。そして強者に対する被害者意識は被支配者へのサディズムを増幅することが多い、という。「有色の帝国」は大日本帝国だけではなく、インドネシア東ティモール併合、中国のチベット侵略、バングラデシュチッタゴン丘陵、イラククウェート侵攻、イスラエルパレスチナ支配などはいずれも「欧米」による被害の歴史をうたいながら侵略が正当化されていることにある、という。「いわば大日本帝国は、もっとも後発の先進国型帝国主義であったと同時に、もっとも先駆的な第三世界帝国主義であったといえる」とする。

こうした「有色の帝国」は、「欧米」と「アジア」、「加害者」と「被害者」、「有色」と「帝国」といった二項対立の、いわば隙間に規制して成長するものである。世界を「加害者」と「被害者」の明確な対立でのみ捉える者は、ある集団に「被害者」としての要素を一部でも認めると、ただちにその集団そのものを「被害者」として分類してしまいがちだ。もちろん現実の世界はそうした単純な図式で捉えられるものではない。だが「有色の帝国」は、こうした現象を利用して、自己が部分的にもっている「有色」としての要素を強調してみせることで「帝国」としての部分を被いかくし、存在全体を「有色」として分類させようという擬態の戦略なのである。

そのような「有色の帝国」に対する対処法として、その「実態」をあばき、明確に「帝国」の側に分類する方法について、次のように言う。

日本を一〇〇パーセントの「帝国」として塗りつぶそうという努力をすればするほど、それに反論する側は、「有色」としての一の事実を反証として持ち出せばよい。その時反論側は〈隠されていた真実〉や〈教科書が教えない歴史〉を掲げる挑戦者としての姿勢で人々を魅惑する。

これは今から10年近く前の分析である。今、氏の危惧が完全に現実のものとなっていることを思わざるを得ない。特に「古い自民党をぶっこわす」というスローガンの元に登場した小泉純一郎政権以降、それは一段の説得力を持って今現れている。今や労働組合既得権益にしがみつく抵抗勢力であり、政権党である自由民主党は闘う改革政党として認識されている。
小熊氏は対処法として次のような提案を行なう。

むしろ筆者は「有色の帝国」の両義性を認めるところから出発したほうがよいと考える。大日本帝国の事例でいえば、「欧米」の被害者であったという側面が部分的に存在したことを認めたうえで、なお「帝国」であった性格を分析するべきなのだ。そうすれば、こんどは歴史修正主義者の側のほうを、大日本帝国が一〇〇パーセントの被害者であったと立証しなければならない立場に追いこむことができる。

現実はそう簡単ではないだろう。しかし現実に大日本帝国を一〇〇パーセント悪である、という歴史叙述が今や説得力を急速に失い始めているのは事実なのだ。その原因を権力による悪辣な洗脳に求めるのは簡単である。しかしそうであるからとして、大日本帝国を批判する歴史叙述に何の問題もなかったことにはならないのだ。
東島誠氏は『公共圏の歴史的創造』(東京大学出版会、二〇〇〇年)の中で次のようにいう。

反・修正主義に立つ大多数の歴史家が死守しようとする、学問のあり方そのものに、修正主義を克服できない桎梏がひそんでいるのではないだろうか。

東島氏の議論は〈客観的事実〉を措定する思考の破産、という問題意識が常に存在し、歴史学そのものへの批判が存在する。東島氏は社会史について「問題関心の私小説化」と批判し、『岩波講座日本通史』を「社会史以上に大きな問題を孕むもの」としている。氏によれば「一本の『通史』を措定することは、その意図の有無に拘らず、それ自体ナショナルアイデンティティの構築に寄与するものである」としている。
そして次のようにまとめる。

実際、こうして「通史」を実体化している最中にも、日本国内において歴史修正主義が台頭してきているのである。これらが本来同根のものであることを自省すべきであろう。そしてこの修正主義者に対する日本の歴史家の反駁は、その学問的誠実さと努力の傾注とは裏腹に、必ずしも旗色がよいとは言えない。なぜなら、修正主義者たちの構え自体が、「大虐殺や従軍慰安婦の事実を実証せよ」という、経験科学のアキレス腱への攻撃である以上、実証が成立しなければ修正主義者に軍配を挙げざるを得ないからである。実証の成立を最終的に判定するのは学者集団ではない。多数のオーディエンスであり、生活世界(レーベンスヴェルト)の論理である。

そこでどうするか。東島氏は次のように纏める。

この問題に関しては、実証主義という科学認識そのものの政治性を認め、実証とは一つの恣意的な操作である、という前提に立つほかないのではないか。そうでない限り、修正主義がいかに荒唐無稽な論調で挑んできたとしても、これに有効に反駁することはできないであろう。もちろん必要な実証的反論は無限に行なうべきである。

この点正直私には現実問題としてどうすればいいのかはわからない。確かに「実証の成立を最終的に判定するのは」「多数のオーディエンスであり、生活世界の論理である」というのは事実で、現在「生活世界の論理」において、反・修正主義の立場に立つ歴史学が完全に守勢にまわっていることは間違いがないであろう。「実証とは一つの恣意的な操作である、という前提に立つ」というのは、実際マルクス主義歴史学が常に発言してきたことのように思うが、それが結局自分の首を絞めたのも事実であり、脱構築の立場が現在の状況を後押しした、というのも事実である。「実証とは一つの恣意的な操作である」という前提に立ったうえで、ていねいな「実証」を積み重ねる他はないのであろう、とは思う。
結局私としては小熊氏の提言「この世界を「神」と「悪魔」に分けてしまうことは、必ず神話をつくりだし、憎悪と蔑視の対象を生み出さずにはおかない。」ということに戻らざるを得ないのである。私の言うていねいな歴史叙述とはこういうことであり、飛騨屋久兵衛論は、そのような「ていねいな歴史叙述」への試みである。