飛騨屋久兵衛論1

飛騨屋とクナシリ場所の関係を検討する際に、考慮すべき点が二点ある。まず一つは、クナシリアイヌ社会に破滅的な影響を及ぼした責任は免れえない、という点である。もう一つは、クナシリアイヌが飛騨屋の「収奪」や「暴力」ごときで破滅するようなやわな社会ではなかった、という点である。飛騨屋の「暴虐」にクナシリアイヌ崩壊の責任を着せる従来の見方では、クナシリアイヌ破滅の原因が矮小化されてしまうのだ。
クナシリ・メナシの蜂起以降、クナシリアイヌの人口が大幅に減少する、という歴史的事実はある。そして従来多くの論者がその原因を松前藩による大量虐殺の可能性や、飛騨屋や阿部屋などの収奪に求めているのだ。しかし実際アイヌの人口が大幅に減少したのは幕領化以降のことであり、一概に松前藩や場所請負制商人の「収奪」が原因とも決められない。
すでに種明かしをしたところであるが、アイヌ社会に起こったのは、大規模な「開発」による環境破壊である。そして飛騨屋がその責任を免れない所以は、飛騨屋が当初材木を大量に蝦夷地から江戸へ移出(輸出)していたことに求められる。やがて材木の移出が飛騨屋内部の事情によって難しくなる。経営が傾き、また内部の「裏切り」もあって、飛騨屋は鱒〆粕の製造及び移出に活路を求めるのだ。
鱒〆粕漁業自体は岩崎奈緒子氏が評価する通り、一面では従来成人男性に限定されていた漁労が、女性や年少者、老人などにも解放された、という側面は確かにある。しかしもう一面を鑑みるならば、鱒〆粕という不安定な産業にアイヌ社会の未来をゆだねてしまったことになるのだ。
鱒〆粕を大々的に使用した、という史料は管見の限り見かけない。主力は鰊〆粕であって、これに関する史料は北海道関係の自治体史を繙けばいくらでもみかける。それに対し鱒〆粕肥料の少なさは異常である。私がみかけた唯一の事例はその謎を暗示するものであった。水戸藩の事例だが、鰊〆粕を使っていたが、高騰したために、鱒〆粕を使ってみた、という史料である。結構好成績を収めたのであるが、鱒〆粕自体の供給が不安定で、結局入ってこなくなった、という史料なのだ。どうやら、史料から判断する限り、鱒〆粕という肥料は安定的に供給されていたものでなく、あくまでも鰊〆粕の代用として使われていた可能性が高い、ということだ。他に史料があるにしても、鰊〆粕が主で、鱒〆粕はあくまでも従として扱われていた可能性は高い。鱒〆粕工業に依存していたクナシリアイヌ社会は、鱒〆粕工業の頓挫によって社会自体が成り立たなくなってしまい、人口流出が続いて過疎化が進行した、という可能性が高いのだ。
ここで描き出されるアイヌ社会と和人との関係は十二分に陰惨である。しかもこの問題は江戸時代だけの問題ではない。現在においても「先進国」と「発展途上国」の関係として続いているのだ。