「嫌韓坊」と私

はてな」から嫌韓の人々に関する考察を引用してみる。

人間史的には、

1:子供時代を真面目に過ごしており、教科書にはある程度目を通しているが、頭の良さは頑張っても「町で一番」か「市で一番」程度で、要するに中途半端でしかない。(私は子ども時代ははっきり言って成績は良くなかった。町で一番どころか学級でも下から数えた方が早かったのではないか)

2:人間関係を構築するのはあまり得意ではないが、引きこもりになるほど閉塞してはおらず、異性関係も奥手だが、彼らと話せないほど恐怖心が強いわけではない。つまり、ここでも中途半端だ。(これは完全に当てはまる。この中途半端さは、まさに私だ)

3:この手の人間が同世代のグループから疎外されると、承認欲求が客観的な評価に不釣り合いなほど肥大化し、適正な世界への対応方法や、客観的な判断能力を失わせるが故に、漫画、アニメ、小説などを読んで空想の世界へと逃避するようになる。(承認欲求が強いのは事実だな。あんまり疎外されたという自意識はないのだが。最近はあるかも。だから承認欲求が強まってこんなブログを書いているとか)

4:こういう人間に、アカデミズムの皮をかぶったヘイトグループの思想書を渡し、「政治的な理由で教科書には書かれていないが、これが真の歴史である」とか、「馬鹿には理解できないが、これが真の歴史である」とか、「みんなマスコミに洗脳されているが、これが真の歴史である」とか、相手の承認欲求を刺激しつつ仄めかすと、アニメや漫画、小説などの娯楽で培った、善悪2元論によって裏打ちされた陰謀史観が開花して、立派な嫌韓坊が誕生する「場合もある」。
(ここは私の場合を書いておこう。「こういう人間に、アカデミズムの皮をかぶったサヨクグループの思想書を渡し、「政治的な理由で教科書には書かれていないが、これが真の歴史である」とか、「馬鹿には理解できないが、これが真の歴史である」とか、「みんなマスコミに洗脳されているが、これが真の歴史である」とか、相手の承認欲求を刺激しつつ仄めかすと、アニメや漫画、小説などの娯楽で培った、善悪2元論によって裏打ちされた陰謀史観が開花して、立派なサヨクが誕生する「場合もある」。」あ、完全に私だ)

これが実際に嫌韓の人々と合致するかどうかは知らないが、少なくとも私に関してはあてはまりそうだな。そしておそらくこういう承認欲求が強い人間は、「伝統・既存の社会的価値を徹底的に疑い、それを攻撃し続ける態度。一つの価値規範のみを追求し、それで社会的な多様性を乗り越えられると考える純粋さ。私の世界観で世界がすべて解釈可能であると考える傲慢さ。ラディカリズムは典型的な「青年期」思想の形を取る。」というラディカリズムに影響されやすい、ということなのだろう。このラディカリズムと保守主義という座標軸を少し考えて見ようと思っている。