学ラン

私は学ランが嫌いだ。理由は旧軍隊を連想させるからだ。
というのはあくまでタテマエで、本当は首が太くて短いので苦しいのだ。しかしそれを言うと「自己責任」となるので、「旧軍隊を連想させる」といえば、私が属する左翼的世界では受けがいいかな、と思ったので、そういうことにしていたのだ。
実際は受けは悪かった。森毅氏が言っていたが、政治的右左関係なく、学校の教師は軍隊好きなのだ。だから私が習った日教組の教師は学ランに制帽といういかにも旧軍隊的な制服を生徒に強制することに何のためらいもなかった。ちなみに整列して一糸乱れぬ行進というのも十分旧軍隊的で、私には嫌悪感を催すに十分なものだったのだが、そんなことをいう奴はいなかったな。
制服否定論を私が所属していた大学の左翼的な空間の中で声高に主張したが、おおよそ受け入れられる雰囲気ではなかった。それどころか「お金がかからないから、貧富の差がわからなくていい」という「左翼的」な説教まで食らったものだ。
産経新聞の報道のように、左翼的思想から「学ランがいかん」という投書があったのであれば、わが意を得たり、と「イカレたサヨク」である私は思うわけだが、そして実際に「イカサヨク」が投書を行ったのかも知れないが、実際にはどうも四年前にもOB寄贈のトレーナーで応援をしていたようだが。
しかしその「イカサヨク」の投書の主が実在したのであれば、私が中学時代を送った80年代初頭に送ってくれればよかったのに。サヨク管理主義教師はどう反応しただろうな。
ちなみに高校では学ランだったが、行進はいい加減だった。そしていい加減なだらだらした行進を見て、従軍経験のある老教師は「おまえらを見て安心した」とのたまった。彼によると整然とした行進は「旧軍的」なのだそうだ。