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安倍晋三総理のあの辞任会見は確かに支離滅裂であった。今まで安倍氏を持ち上げてきた産経新聞ですら見放してしまう(「産経、水に落ちた犬を叩く。 - 黙然日記(廃墟)」)ほどのひどさで、せいぜい安倍氏を熱烈に応援してきた人々が精いっぱいの弁護を行なっている程度である。確かにあの支離滅裂且つ無責任な「投げ出し」辞任を見せられては、安倍氏を嫌ってきた私など「ざまあみろ」とか、「これで安倍の顔を見なくて済む」とか色々思ったわけだ。実際あの形での辞任では安倍氏の政治生命は完全に絶たれたと言っていいだろう。安倍氏は今後衆議院議員としても影響力を保持できるかあやしい。
安倍氏の辞任会見は安倍氏の幼稚な人格が現れたものとして片づけるのが通説のようである。しかし少し腑に堕ちない点がある。まず片山さつき氏の言葉である。「後ろから刺した人がいるんでしょう」と暗に麻生太郎氏のクーデターをにおわせるような発言、さらには辞任の理由が小沢一郎氏が会ってくれない、という速攻バレる子どもの嘘みたいないいわけ。さらに突然悪化したわけではないだろうに、病気で入院。臨時代理も置かれない。さらに麻生氏に対する急激な逆風。不思議な事だらけである。
それをすっぱり説明してくれたのが次の記事(「http://www.data-max.co.jp/2007/09/post_1560.html」)。
どういうことかを再構成すると次のようなドキュメント風物語がつくれる。
参院選で惨敗した自民党の総裁安倍晋三の進退について、自民党の実力者である参院会長の青木幹雄、元総理で最大派閥清和会の事実上のトップである元総理の森喜朗、そして森の側近で自民党幹事長の中川秀直は安倍退陣で一致していた。ここで退陣すればまだ若い安倍には次がある、という読みである。そして公認の総理には元官房長官福田康夫を立て、選挙管理内閣にするつもりであった。人材が枯渇する中、外務大臣で国民的人気の高い麻生太郎は温存する、という方針が立てられた。福田に火中の栗を拾わせ、麻生は福田後に登場するというシナリオだ。そのころ外務大臣麻生太郎は安倍のもとを訪れていた。麻生は安倍を支えることを明言し、安倍は幹事長ポストと次期総裁の座を確約した。中川が安倍の元を訪れた時にはすでに麻生が安倍続投を打ち出していた。福田暫定内閣は雲散霧消した。
過半数を野党が占める参院対策で最も問題になるのがテロ特措法である。野党民主党の党首小沢一郎は国連の枠組みでの援助を打ち出し、現行のテロ特措法に基づくインド洋での自衛隊の給油活動の継続に反対している。自民党衆院では3分の2を押さえているので、参院で否決されても再可決の可能性はあるが、参院で議決せずに放置されれば、60日間は動けない。60日経過しても議決しない場合は衆院の議決が国会の議決になる、というのは、テロ特措法の期限を考えれば意味がない。再可決でも参院が首相問責決議案を可決されれば、政権運営は立ち行かなくなる。安倍が得意とした「強行採決」はもはや無効になってしまった。
安倍は小沢との会談に一縷の望みをかけた。テロ特措法の通過と引き換えに安倍は総理を辞任する、というものである。まさに「職を賭して」小沢との会談に臨もうとしていた。
シドニーから帰国した安倍はがく然とする。小沢との会談がセットされていなかったのだ。厳密に言えば小沢にあいさつをする、という軽い会談になっていて、しかも民主党からは断られた、という。今更あいさつでもない、ということだ。この背景には安倍に見切りをつけた麻生と官房長官与謝野馨が何もしていなかった、ということがあった。自衛隊の給油活動を継続させる、という花道すら付けられずに安倍は9月10日の所信表明演説に臨み、その夜麻生に辞意を伝えた。
麻生は側近と祝杯を上げた、いよいよ麻生政権が現実のものになろうとしていた。いち早く安倍辞任を知りえた麻生は短期決戦で総裁選を乗り切る予定であった。
しかし12日、代表質問の直前に安倍が辞任を表明したのは麻生にとって大きな誤算だった。所信表明演説をして代表質問をせずに辞任するという筋書きは麻生ならずとも想定の範囲外であった。緊張の糸が切れた安倍はもはや持たなかったのだが、安倍がそこまで精神的に弱かったとは思わなかったのだろう。
短期決戦。時間を置くと反安倍・反麻生グループ福田康夫支持で固まる可能性があった。福田擁立談合がまとまる前に麻生後継の流れを作らなければならない。14日告示、19日投票で押し切ろうとした。
麻生にはもう一つの懸念があった。安倍周辺から「麻生と与謝野にだまされた」という言葉が流され始めたことである。実際麻生と与謝野は安倍から人事権を取り上げ、傀儡化していた。万一弱った安倍本人の口から麻生ー与謝野批判が出されたら、それこそ麻生に対する反発は大きくなる。安倍は13日の自民党両院議員総会に出席して退陣の理由を説明したい、という意向を持っていたが、体調悪化を理由に麻生ー与謝野ラインが病院送りにした。
安倍投げ出し辞任のショックで自民党内では麻生後継しかない、という雰囲気になっていた。この流れを突き崩したのは他ならぬ麻生の「失言」であった。麻生は「2日前の役員会のあと、総理に辞意を打ち明けられた」と記者団に漏らした(「http://www.jimin.jp/jimin/kanjicyo/1909/190912.html」)。この「失言」で麻生総理の目は無くなった。「失言」で失敗するのは麻生らしいといえば麻生らしい。
特に安倍の出身派閥である町村派の怒りはすさまじかった。「辞意を以前から聞いていたというなら幹事長としてやることがあったろう」「安倍さんの辞意をさかなに酒を飲んでいたらと思うとぞっとする」という声が上がり、自民党総務会では麻生が提案した14日告示、19日投票という案は押し戻され、23日投票となった。短期決戦で決めるという麻生のもくろみは崩れた。
パリで安倍退陣を聞いた森は緊急帰国し、福田擁立の流れを作った。前総理の小泉純一郎を慕う「チルドレン」は福田とも麻生とも距離があった。それを福田支持に一本化するために側近の飯島勲を小泉は利用した。飯島は小泉の指示を受けてチルドレンに「50人集めたらオレが小泉出馬を説得する」と号令をかける。チルドレンと小池百合子など小泉に近い議員31名は結集して小泉再登板を求める。その上で小泉は福田支持を表明したのである。だまし討ちに近い「ミニ小泉劇場」だったが、庇護者の意向に従わなければ彼らに生き残る術はない。福田にも麻生にも反感を持つチルドレンを小泉は福田支持にまとめあげ、福田政権への動きを確実にした。ただ一人、杉村太蔵はその動きに反発し、袂を分かった。
こう考えてくるといろいろなことが腑に堕ちる。なぜ安倍は小沢に会談を断られ、辞任を決意したのか。それは麻生と与謝野にセットしてもらえなかった、ということを言外に言っている。なぜ大した病状でもないのに入院しているのか。余計なことを話されては困るからだ。なぜ臨時代理が置かれないのか。麻生太郎が事実上の総理だったからだ。傀儡の代理はいらない。なぜ麻生は失速したのか。「失言」で町村派の反感を買ったからだ。なぜ杉村はチルドレンの後見人の武部勤と喧嘩をしたのか。だまし討ちにあった、と考えていたからだ。飯島はなぜ突如辞めたのか。やはり小泉にだまされた、と悟ったからだ。
告示前日の13日、麻生の後見人である衆院議長河野洋平は森に電話をかけた(「http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/jinin/archive/news/2007/09/20070915ddm002010086000c.html」)。
河野「麻生はどうなるんでしょうか」
森「彼も最後の最後で詰めが甘くて、勇み足を踏みましたね」
河野「そういう感じがしますね」
森「太郎はこれまで、重要なポストをしっかりやっていると思った。自分としても引き立ててきた。でも福田が出るとなると話は別ですよ」
こうして森−小泉−福田という清和会の重鎮によって清和会のプリンス安倍に弓を引いた麻生は討ち取られたのである。