週刊現代の記事

安倍総理を辞任に追い込んだと言われる記事ではない。あれはすでにネット上に全文が出回っているようで、著作権が心配だ。
ここではそれに付随した「麻生太郎『新総理誕生』までの“全謀略”」という記事。もっとも『週刊現代』自体がどう考えても親麻生には思えないだけに割り引いて読む必要がある。
ここでは『週刊現代』の地の分は一切省略して、江田憲司衆議院議員と「麻生氏に近い議員」の発言だけを抜き出していく。『週刊現代』の記事は12日に書かれ、15日に発売(「http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070914_scandal/index5.html」)ということらしいから、12日段階の話だろう。
まずは江田議員の話から。

麻生幹事長による安倍政権転覆のクーデターとまでは言いませんが、安倍首相がプッツン辞任したのは、麻生幹事長が“安倍抜き政局”を進めたことで、自身の求心力のなさを痛感したからですよ。

麻生氏が安倍抜きで政局を進めたことが原因かどうかはともかく、少なくとも町村派はそのように見たことは間違いない。麻生氏が存在感を増す中で、麻生氏に対する反発が、このような認識になった可能性はある。そしてそれが政界の空気となって、江田議員にも伝わった、と。
「麻生氏に近い議員」という肩書きで話されているのは、麻生氏がこの一年打倒安倍に腐心した、という観測である。事実麻生氏が善戦したことで、安倍政権は発足当初から政権内反主流派を抱き込んだ、と言われていた。ことさらにパイプの強さを強調する裏には微妙な距離感がある。安倍氏も麻生氏を政権内反主流派と見なしていたからこそ、麻生氏とのパイプを強調する必要があったし、麻生氏も政権内反主流派と見なされていたからこそ、安倍氏に中世を尽くす必要があった、とも考えられる。そもそも最初から政策で一致するのであれば、麻生氏は安倍氏に投票するのが筋で、麻生氏が総裁選で安倍氏と争い、安倍氏の票をかなり喰った段階で、この両者には微妙な空気が流れているはずなのである。

昨年9月の安倍政権発足時、麻生氏は「安倍は17人の大臣の中で、おれをわざと最後に官邸に呼びやがった」と大荒れでした。そのため。外相として11月に「自由と繁栄の弧」という外交プランを勝手にぶち上げ、12月には国会で「北方領土二等分解決論」をブって安倍首相を狼狽させた。新年明けて首相が外遊に出ると、総裁選で3位になった谷垣禎一財務相と極秘会合を持ち、3月に予算成立と引き換えに安倍内閣を総辞職させるクーデター計画まで提案したのです。

国会が閉幕して選挙戦に突入した7月6日、麻生氏は「これ以上、晋三には、いいようにはさせねえ」と言って首相と面会。「いま辞任したら福田が出てきますから、参院選に敗れても辞任すべきではない」と首相に進言しました。麻生派は16人しかいない弱小派閥のため、選挙に敗北して内閣総辞職されるより、選挙後の党・内閣改造でカネと人事を一手に握る幹事長に就任し、事実上安倍政権を牛耳るというハラでした

3月のクーデター計画はにわかには信じにくいが、実際はどうだったのだろうか。麻生氏が安倍氏に「いま辞任したら福田が出てきますから、参院選に敗れても辞任すべきではない」と言ったのは信憑性がありそうだ。実際参院選の惨敗後に森・青木ラインは福田暫定政権で当面乗り切って、安倍氏及び麻生氏を温存するつもりだったようだから。ただ安倍・麻生両氏は福田氏とは反りが合わない。福田暫定政権が本格政権になってしまい、自分らが逆に浮いてしまうのをおそれたのではないだろうか。民主党岡田克也前原誠司両代表の尻拭いとして暫定的に代表に就任した小沢氏がいつのまにやら総理候補にすらなっていて、その二の舞いをおそれた、というのはうがった見方だろうか。
安倍改造内閣では鳩山邦夫法相と与謝野馨官房長官を送り込んだが、当初から安倍首相の衆院解散を力ずくで抑え込むため、という観測は流れていたので、麻生氏が安倍政権を牛耳ろうと言うと言葉が悪いので、リードしようと考えていた、と想定するのはあながち外れてはいないだろう。問題はそれが清和会にとっては面白くなかった、ということなのだ。
9月10日に麻生氏がホテルに国会議員30人を集め、怪気炎を上げた、という話があり、それについて『週刊現代』では次のように麻生氏が発言した、と書かれている。

安倍はいよいよ長くないぞ。目の焦点が合ってないし、精神状態も悪い。オレはその間安倍に潰されず、外相を2期やって海外人脈も作った。祖父の吉田茂は67歳で総理になった。この歳でも総理になれるし、長期政権だって作れるんだ。

これが実際に話されたかどうかはともかく、こういう「発言」が永田町を流れ、それを週刊誌がキャッチする事自体、清和会にとっては麻生氏に対する不快感を増幅させることだっただろう。あるいは清和会の罠に麻生氏がはまったのか。
ついでに以下の記事も参照(「http://www.excite.co.jp/News/society/20070920210910/JCast_11527.html」)。
この記事でなるほど、と思ったのはここ。

麻生派を除く8派閥が福田氏支持に回った背景には、麻生潰しとも言える福田氏周辺の思惑があったようだ。
各派閥は、人事権を握ってポスト安倍の地位を固めた麻生氏が優位に総裁選を進める様子に焦っていた。そこに、麻生裏切り情報が流された。そして、福田氏が出馬表明すると、麻生氏に反感を持った各派閥が雪崩を打ったように支持に回った。改革に否定的な発言をする麻生氏に不満を持っていた片山氏ら小泉チルドレンも、次々に取り込まれていったというわけだ。
ただ、麻生氏も、クーデターと言えるかどうかは別にして、自らの有利に事を進めようとしたのは確からしい。

麻生氏が参院選惨敗後いち早く安倍総理続投の路線を敷いたことで、麻生氏が有利に事を進められる立場になったことは事実だ。それに反感を持った各派閥による麻生潰しが始まった、というのはそうなのだろう。
J−CASTには「ある政界通」の発言として次のように書かれている。

麻生さんが安倍首相の辞意を聞いたのは、2日前でなく、実は3日前だったという話なんです。『これでオレのところに政権が来る』と浮かれてどんちゃん騒ぎをした。それが知られるのがいやで、2日前ということにしたんじゃないかな。内閣改造後、安倍首相は何も知らされずに、陰謀にやられた、と周囲に漏らしていた、と聞いています。安倍首相は参院選直後から辞めたいと漏らしていた、という人もいます。

いつも思うのは「政界通」って誰や、ということだ。まあ「浮かれてどんちゃん騒ぎ」とか、その席上で「安倍はいよいよ長くないぞ。目の焦点が合ってないし、精神状態も悪い」と言ったことが流れている、あるいは流されている段階で、麻生包囲網が敷かれる予兆があったのだ。
10日に安倍総理の辞任の意向を聞いた麻生氏だが、12日に辞任するとは寝耳に水であったようで、次のように語っている、と『週刊現代』。

辞任は11月と思っていたのに早すぎるじゃねえか。

10日に速攻辞任とは麻生氏も思っていなかった。これは大事な点だろう。色々と。