安倍政権を総括する

総括する、と言っても、安倍政権が作った様々な法律や、特に私のように教育現場に身を置くものにとっては、教育改革について議論すべきだろうとは思うが、実はあまり知らない。素朴な感想にしかならないが、とりあえず感想じみたことを書いておく。
「右派」と一口に言っても、実はさまざまな右派がある。「左派」と言ってもこれもいろいろだ。「ネット右翼」といういい方が概念として機能しないのと同様、「サヨク」という概念も雑多な概念が入り交じり、概念として機能していない。
大ざっぱに分けると「右派」「左派」には二つの軸があるように思える。これを分かりやすく説明したのがアナルコ・キャピタリズム研究(仮)の「世界最小の政治的クイズ」である。設問が「個人に関する質問」と「経済に関する質問」に
分かれている。「個人に関する質問」は個人に関する政府の介入の度合いに関する設問からなっている。個人に対する政府の介入を許容すれば政治的右派になり、個人に対する政府の介入を制限すれば政治的左派になる。一方「経済に関する質問」では経済に対する政府の介入を是とすれば社会主義的になり、経済に対する政府の介入を非とすれば経済的自由主義的になる。ちなみに経済的自由主義を政治的な自由主義とは異なる。この二つが混同されている現状を三笠宮崇仁親王は「自由主義ではなく資本主義」と指摘したが、現在では「新自由主義」「ネオリベラリズム(略してネオリベ)」と呼称する。その二つの軸の相関関係で政治的立ち位置がわかる。「政府の介入を政治的にはよしとせず、経済的にはよしとする人」はリベラリストとなる。「政府の介入を政治的にはよしとして、経済的にはよしとしない人」はコンサバティブとなる。「政府の介入を政治的にも経済的にもよしとする人」は国家主義者となる。「政府の介入を政治的にも経済的にもよしとしない人」はリバタリアンとなる。
小泉純一郎氏は政治的にはそれほど右派ではないように思える。靖国参拝を正当化する小泉氏の言葉を聞いていても、右派的な要素は少ない。「心ならずも戦場に」という小泉氏の発言には西尾寛二氏が怒りをあらわにしていたように、小泉氏の議論は戦後民主主義的な枠組みそのものだ。小泉氏は経済的には「小泉改革」という形でネオリベ的経済政策を推し進めた。ネオリベ的経済政策を推し進めれば、格差は必然的に出てくる。格差を是正する方策として、所得の再分配機能をいうのがある。高額所得者から税金を多く取って、低所得者に分配するというのは、社会主義的な政策であり、社会主義のように革命によって社会の富の再分配を行うのではなく、議会政治を通じて社会の富の再分配を漸進的に穏健的に進めようというのが、社会民主主義である。政府の介入を経済的にはよしとする立場を経済左派というのは、政府の所得再分配機能を重視する社会民主主義の立場に立っているからだ。
平沼赳夫氏を中心とする郵政造反組というのは、彼らにリベラルな側面はない。彼らは政治的に右派であるのは間違いがないだろう。個人に対する政府の介入をよしとする。一方で経済的にも政府の介入をよしとする。そして郵政造反組にとって問題なのは政府の経済に対する介入を制限する小泉改革なのだ。
安倍氏はどうなのだろう。安倍政権自体は典型的な「コンサバティブ」の立場に立脚していた。アメリカの共和党の立場である。自助努力を重視する。アメリカではそのため「家族」の価値が重視される。夫婦が同一の姓を名乗るのは、西洋社会のコンサバティブな風潮の名残である。日本は昔は夫婦別姓であった。北条政子であり、日野富子であって、源政子ではなく、足利富子ではないのだ。明治時代には「進歩」「婦人の地位向上」という立場から夫婦同性が主張されたことを忘れてはいけない。
それはともかく、安倍政権は小泉政権における「改革」を継続することを余儀なくされた。「改革政党自民党」に引きずられる一方で、安倍氏自身の国家主義的政策を推し進めた。教育基本法「改正」に顕著に現れているが、個人に対する政府の介入を是とする立場に立っていた。経済的には自由主義、政治的には国家主義、一見矛盾しているこの立場は実は矛盾していない。経済的に自由主義を推し進めると、格差は必然的に拡大する。拡大した格差のもとでは、生じた不満をそらし、実態は分裂している人々を疑似的に一体化する必要がある。敵を外に作り、敵意を煽り、危機感を煽ることで、人々を一体化し、それに不満を漏らす人々には「愛国心に欠ける」と言えばいいのだ。今のブッシュ政権のもとでのアメリカが好例だが、イギリスのサッチャー政権も同様の方法で人々をまとめ上げた。ゲーリングは次のように言う。「反対の声があろうがなかろうが、人々を政治指導者の望むようにするのは簡単です。国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。そして国を更なる危険にさらす。このやりかたはどんな国でも有効ですよ」と。ブッシュ政権サッチャー政権はゲーリングのこのやり方に忠実だったのだろう。特にブッシュ政権は「9・11」以降その傾向を強めているように思われる。「国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難」し、「国をさらなる危険にさらす」という方策は、しかし安倍氏は徹底しなかった。中国・韓国との関係改善に動き、実際にそれは成果を挙げた。靖国神社についても春の例大祭重視という形で、戦争と靖国信仰を切り離して近隣諸国の反発を和らげることに成功した。小泉氏は靖国神社を国民に対する煽りに使ったが、安倍氏はもう少し控えめだった、という印象が強い。しかし安倍氏のその方針は「国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難」することで、「人々を政治指導者の望むように」したい人々からは弱腰と思われた。
安倍氏が「危機」として持ち出したのは「拉致」だが、膠着状態が続く中で少しずつ風化していく。「拉致」問題で「圧力」路線を有効ならしめるためには、中国・韓国との関係改善は必要なことであり、中国・韓国・ロシアの協力無しに「圧力」は有効たりえない。安倍氏が韓国や中国との関係改善に動いたのは、そういう現実的な考えがあってのことだと思うが、その姿勢は安倍氏を支えてきた人々には受け入れられなかった。「従軍慰安婦」問題ではアメリカの議会の一部にも不信感を招いた。自身が死に体政権となっているブッシュ政権にとって、北朝鮮の核問題の解決を急いでいるさなかに北朝鮮包囲網に亀裂を生じさせる日本の保守論壇とそれを押さえられない安倍政権に不信感を抱いたことは言うまでもない。保守論壇は「FACTS」(事実)と題してアメリカの新聞に意見広告を打ったが、おそらくあの局面では「事実」はどうでもいいのだ。北朝鮮核武装解除が喫緊の問題であり、「事実」を言い立てて北朝鮮包囲網に穴を空ける日本の保守論壇アメリカは苛立ったに違いない。あの意見広告の中身の当否は置くとして(本当は置いてはいけないのだが)、あの意見広告が安倍政権の足を相当引っ張ったのは言うまでもない。「国益」を損ねても「真実」追究のための意見提示が大事だ、というのは一つの見識かもしれないが、それを安倍政権を支えるべき人々が安倍政権の足を引っ張る行為をやったのは、戦略的にまずかったのではないだろうか。安倍政権に対するアメリカの支持はかなり減退したであろう。
参議院選自民党が惨敗した理由は、安倍氏国家主義的傾向が嫌われたのではない。参院選で惨敗したのは、「政府の介入を経済的にはよしとしない」ネオリベに対する反発があったからだ。ホワイトカラーエグゼンプションの導入や法人税の減税と消費税の増税を打ち出したことで、反発を買った。ネオリベ的な安倍政権の政策に反発していたのは「サヨク」でくくられる人々ばかりではない。平沼赳夫氏をはじめとする郵政造反組も安倍政権を批判していた。平沼氏は週刊誌で「売国大臣と決別せよ」と安倍氏に勧めていた。麻生氏は平沼氏の無条件復党に動いた。安倍政権をネオリベ路線から転換させようとしたのは麻生氏だった。参院選の惨敗はネオリベ路線が国民の反発を買ったからで、ネオリベ路線を見直すべきだ、という麻生路線で安倍政権は動き出すかに見えた。しかし安倍氏を総理の座に押し上げた基盤には大きな亀裂が入っていた。小沢民主党と対峙することはおろか、自民党内部すらまとめられないことを悟った安倍氏は辞意を麻生氏や中川秀直氏らに漏らす。直前に「色を賭してテロ特措法延長に取り組む」と宣言していた安倍氏が辞任するのはテロ特措法延長成立と引き換え、と麻生氏が考えたとしても不思議ではない。麻生氏は安倍氏とのかねてよりの約束であるポスト安倍は麻生、という約束に従って、10日の麻生氏を中心とした懇親会で「次の総理はオレだ」位のことは言ったかも知れない。しかし麻生氏の考えるよりもはるかに早く安倍氏は「健康上の理由」から辞任した。安倍氏が辞任表明した12日は安倍氏の「脱税疑惑」に関して『週刊現代』の質問状の回答期限であったのは偶然なのかは分からない。
総裁選での最大の論点が北朝鮮問題と復党問題であったのは、安倍政権の矛盾点がそこにあったことを示している。北朝鮮では「対話」を重視する福田氏と「圧力」に重点を置く麻生氏に分かれた。復党問題では福田氏が「現職優先」を打ち出したのに対し、麻生氏が「選挙に勝てる」という方針を出した。「現職優先」つまり小泉チルドレン造反組かということだが、ネオリベ的なチルドレンか国家主義的な造反組か、という対立である。しかし福田氏は反改革の古賀氏を重要ポストに据えた。麻生氏ほどではないが、ネオリベ路線は見直されるということだ。
麻生氏本人よりも麻生氏を支持するネット上の意見は、福田氏になれば「特亜」の植民地になる、というような議論が散見されるが、実際にはこれまでの安倍政権の路線が大きく変更されるとも思えない。テロ特措法は新法などで対応していくことになるだろう。外交においてはアジア重視と言われているし、実際アジア重視、ハト派谷垣禎一氏の存在感が大きくなっていることから、そういう議論もなされるのであろう。しかし繰り返すが、福田氏と安倍氏あるいは小泉氏との断絶は巷間言われているほど大きなものではなく、福田政権になったからどうだ、というものでもないことを念頭に置く必要がある。
最後に昨今の言論情勢をみていて思ったことを、ゲーリングの言葉に託して結びとしたい。「もちろん国民は戦争を欲しない。貧しい農民たちが、戦争で得られるものと言えばせいぜい一張羅で畑に戻ってこられることだというに、戦争に生命を賭けたいなどと思うはずがない。普通の人間たちが戦争を望まないのはあたりまえだ。しかし、結局のところ、政策を決定するのは指導者なのであり、人々を引きずっていくのはつねに簡単なことだ。声を上げるか無言かに関わりなくつねに、国民を指導者の命令に服させることができる。容易なことだ。国民には、攻撃を受けていると言ってやり、平和工作者たちは愛国心が欠けていて国家を危険にさらしていると非難しさえすればいい。いかなる国でも同様に、これでうまくいく」
ゲーリング的な「荒々しい」物言いがその影響力を減退させることを期待したい。