「亀田一家」というメタフィクションの崩壊

今回のWBC世界王者戦での内藤大助王者と挑戦者亀田大毅選手のボクシングで、亀田選手の反則行為で処分が下された。それが厳しいか、妥当か、甘いかという論評はさておく。むしろ関心事はそれまで亀田一家を持ち上げてきたメディア(特にTBS)が一転して亀田一家をバッシングし始めた背景である。
亀田一家が率先して悪役を買って出てきたことは、確認事項だろう。亀田一家が悪役を演じ、その一方で「実はいい人」という情報が漏れ聞こえてくる。反亀田は予定調和的な悪役ぶりをバッシングし、親亀田は予定調和的ないい人ぶりを持ち上げる。アンチもシンパも一体化して亀田一家に言及することで、ボクシング人気を盛り上げた、という側面は否定できない。私も例えば亀田を通じてしか内藤大助選手を知ることはなかっただろう。基本的にボクシングに興味はなかったからだ。亀田一家にも関心はなかったのだが、いやでも耳に入ってくる。それで関心を喚起されることになるのだ。
内藤選手を「ごきぶり」呼ばわりしたことは、あくまでも亀田一家をめぐるメタフィクションの範囲内である。世界王者を侮辱した、というのも亀田らしくていい、という人もいるであろう。
問題は亀田大毅選手の反則行為である。最終ラウンドであそこまであからさまな反則行為をやってしまったのは、TBSの実況の言葉を借りれば「若さが出た」としかいいようがない。サミングや太腿打ちは人目に付かなければ問題にもされなかったであろう。今までJBCは放置してきたのだから。「玉打てばええんや」も「肘でええから目入れろ」もあの投げ技がなければネットで話題になっても、JBCは黙殺したのではないか、と思われる。放置できないほど声が大きくなれば「亀田用語」でごまかす、と。「玉」は「魂」とか、「肘で目に入れる」というのは「ヒジを上げてしっかりガードして、目の位置を狙えいう意味。亀田スタイルの基本」ということで処理されるだろう。「投げろ」に関しては「亀田家は『投げる』という言葉を『パンチを打て』という意味で使うことが多いということ」で済まされる。
大毅選手のあからさまな「若さ」は大きな代償を払ったことになるだろう。その背景について『朝日新聞』では「父親・ジム・メディア 増長後押し」という中小路徹記者の署名記事で次のように言っている。

協栄ジムの責任も大きい。力が迪吸うな外国人を大毅と当て続けて世界ランク入りさせ、ミスマッチを創出。(中略)特にTBSを中心としたメディアも亀嵩を持ち上げ増長させた。
大毅が反則を繰り返し、レスリング技まで出した最終ラウンドは、分不相応の場に送り出され、引っ込みがつかなくなった哀れさが漂っていた。大毅の処分の背景は、すべて大人が作り出したのだ。

「亀田一家というメタフィクション」は18歳には荷が重すぎたのであろう。