「亀田一家というメタフィクション」の齟齬

「亀田一家というメタフィクション」とは、要するに「悪役は道徳的なるものを表現するためのもの」であったのだ。だからその「悪役」ぶりはあくまでも予定調和の範囲内でなければならなかった。外見は悪役だが、「実はいいやつ」というのが要求されている。外見の「悪役」ぶりを批判するアンチと「実はいいやつ」という側面を見るファン。それらが相乗効果をなして低迷していたボクシング界が「復活」したのである。
しかし「亀田一家というメタフィクション」を一番理解していなかったのは、亀田史郎トレーナーだったようだ。ファン・ランダエタ選手と再戦を果たし、亀田興毅選手が王者を防衛した時、亀田興毅選手はランダエタ選手に歩み寄り、健闘をたたえあおうとした。それを阻止したのは史郎トレーナーだった、という話が昨日のMBSの「ちちんぷいぷい」で明かされていた。「実はいい人」を演出する格好の機会を史郎トレーナーは自らの意思で放棄したのだ。しかしまだ亀田一家に逆風がそれほど吹いていない時で、TBSの露骨な亀田一家の持ち上げが続いていた頃だったので、それは特に問題になることもなくスルーされた。
亀田大毅選手が内藤大助選手に敗けた時に、大毅選手の商品価値をむしろ上げる方法はあった。敗北後、頭を下げながら内藤選手に近寄って「すんません。つい熱くなってあんなことをしました。チャンプはほんま強かったです」とでも言えば、内藤選手サイドも今までの反則も水に流して、公表しなかったかも知れないし、一緒に記者会見でもして、そこでも内藤選手の強さを讃え、自分の未熟さをアピールすれば、よかったわけだ。「試合前はチャンプを侮辱したり、切腹すると大見えを切ったりしましたが、今回チャンプをこぶしを交えてチャンプの強さを思い知りました。切腹することはできませんが、切腹したつもりになって、心身ともに一から鍛え直したいと思います。今回は本当に申し訳ありませんでした。そしてチャンプにはほんまに感謝しています」位のことを言えば、大毅株はむしろ上がったのではないだろうか。ここまですれば内藤サイドもローブローサミングも水に流したかも知れない。「玉打てばええんや」とか「ひじで目狙え」とか「投げろ」というのも「亀田用語」でごまかせたはずだ。
しかし史郎トレーナーは、「亀田一家」というメタフィクションを全く理解していなかった。「手段を選ばず勝つ」ことに全ての価値を見いだしたのだ。「勝てば官軍」というのは無法者の理屈である。史郎トレーナーにとってボクシングは「無法者の殴りあい」でしかなかったのだろう。勝者を讃えることもせず、そそくさと会場を後にしたのは、喧嘩に敗けた恥ずかしさでいたたまれなかったからだろうが、結果的に「亀田一家というメタフィクション」を自らの手で否定したことが、メディアからの手のひら返しを受ける原因となったのだろう。「亀田一家というメタフィクション」から外れた亀田一家に商品価値はないのである。
追記
今謝罪会見を見た。やはり亀田史郎氏は「亀田一家というメタフィクション」を分かっていない。亀田大毅選手が落ち込んでいる、ということで同情を買おうという魂胆だろうが、おそらく同情を買うのはかなり難しいのではないか、と思われる。必要なのは「本当はいいヤツ」という属性なのだ。「かわいそう」では訴求力は弱い。当然「かわいそう」という同情心もおこるだろう。現に「ちちんぷいぷい」では未知やすえ氏がそういう印象を抱いたようだ。そういう風向きになる可能性も当然ある。TBSではそういう方向に持っていくかも知れない。しかし他局は同調するだろうか。むしろバッシングに乗り出す可能性が高い。今「亀田一家というメタフィクション」を遂行するために必要なのは、完全なる謝罪の態度以外にはない。それも世間よりも内藤大助選手側にそれを示す必要があったのだ。それをマスコミを通じて配信する。それは大毅選手が中心にならねばならない。
それと大毅選手は演技がへたくそなのではないか。どう見てもふてくされているようにしか見えないのは、私の性格が悪いからだろうか。いかに落ち込んでいるとは言え、頭を下げることぐらいはできるだろう。
追記2
メモ。
中日新聞の記事(「http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007101790070637.html」)。「亀田一家というメタフィクション」を紡ぎ出し続けたTBSについて。

放送ジャーナリストの小田桐誠氏は、まずテレビ界全体の最近の風潮を憂う。

 「『もうかればいいのか』とIT企業を非難しながら、朝から晩まで自局主催のスポーツや番組を宣伝している。亀田問題も、その一つ。十八歳の少年が年長者に暴言を吐くことの影響力を認識して番組を作っていたのか」

 またTBSについては、「五十歳以上の人にとって、節度があり、質の高いドキュメンタリーやドラマを作るというイメージの局。(亀田問題は)落差を感じて仕方ない。『楽しくなければテレビじゃない』のフジや、力道山の時代からスポーツに力を入れている日テレなら、もう少しうまくやっただろう。慣れないことをやって視聴率をとらなきゃいけないほど、追いつめられているのか」と“迷走”ぶりを指摘。亀田父子については「ある意味、メディアの怖さを知らないがゆえの犠牲者」と評した。

内藤大助選手のコメント。さすが苦労人。

ぼくの18歳の時なんてもっともっとガキだった。亀田君はこれからもっともっと強くなるし、大人として成長すると思います。(タマを打てと言ったとされる件についても)すんだ事ですから。処分は出ましたし、僕もいいたいことを言ったし。今度会うときには『この間はお疲れさま!』みたいな感じで普通に話せたらいいと思います(スポーツ報知)
「ああいう態度の亀田親子を見るのは初めて。落ち込んでるなと思った。僕はもう終わったことだからと割り切っている。直接来てくれるなら僕もちゃんとした態度で会いたいし、いがみ合って終わりになっちゃったから「お疲れさま」とたたえ合いたい」(サンスポ)

あの試合で解説を務めた鬼塚勝也氏のブログより。

反則行為に対しては
弁解の余地は無いけれど
試合終了後、もし試合前の言動と
あせりとすがりが反則という行為に
なった事への反省を
「すみませんでした」
という言葉で
チャンピオンに返していたら
頭が真っ白になった18歳の若者を
父親が手を引っ張って
チャンピオン陣営に
お詫びと敬意を表していたら

誰もが思うことではあるが、親の責任だと思う。
追記X
会見における大毅選手について、サンスポの記事(「http://www.sanspo.com/fight/top/f200710/f2007101806.html」)より。

人格障害に詳しい井上敏明・芦屋大学大学院教授(臨床心理学)
「報道による印象だが、大毅選手は自分の力以上のものを見せようとしてきた。会見でのうなだれた様子から、親に抵抗もせず幼い自我のまま育った人が陥る適応障害の可能性がある。虚勢を張って生きてきた人間が厳しい現実を突きつけられると、ヒステリー→脱力感を伴ううつ状態になるパターンが多い。このうつや落ち込みは無意識のもので、弱々しい自分を見せて社会から身を守る自己防衛のひとつ。強がりだけで、親の後ろ盾がなければ自分の足で立つことができない現実を受け入れるのは苦痛を伴うが、心の健康は社会生活の中で養うしかない」