金満球団への道2

格差社会に生きるものには3つの道がある。格差の根源に対し、自分も勝ち組になるべく手段を選ばず戦いを挑む者、そもそも制度へのレジスタンスを果敢に試みる革命家、そして格差社会を受け入れ、勝者のおこぼれに預かろうとする者。中日ドラゴンズ星野仙一は巨人にもひるむことなくマネーゲームをしかけ、落合博満をロッテから獲得し、槙原寛己を巨人から強奪しようとすら試みた。真ん中の革命家はヤクルトの野村克也、そして広島球団である。彼らはFA制度に背を向け、選手を育成することで巨人と張り合った。特に野村率いるヤクルトスワローズはFA市場で一人勝ちを収める巨人に伍して90年代に優勝4回、日本一3回を記録した。野村退任後の2000年にも日本一に輝いている。横浜は駒田憲広内野手を強奪し、巨人に一矢報いた。しかし阪神タイガースは完全に巨人の後塵を拝することを続けていた。巨人に伍して、巨人の覇権を阻止すべく全力を挙げるでもなく、巨人が提示する世界観に完全に抵抗するでもなく、一極集中する巨人の権力のおこぼれに預かろうと、流されるままに動いてきたのである。
ヤクルトから野村を迎えたことは、阪神が巨人一極集中阻止戦線に加わろうとしたことを意味している。と同時にマスコミによるバッシングは加熱した。野村克也の妻沙知代に照準が定められた。ほとんどのバッシングは一時的なものである。しかし日テレは次から次へとサッチーバッシングを繰り出した。最後に彼らが持ち出したのは学歴詐称であった。コロンビア大学インビテーションスチューデントだった、という野村沙知代の経歴疑惑で、反巨人の闘士野村克也を追い落とすべく日テレは検察官をニューヨークに派遣させるべくキャンペーンを張った。大山鳴動不起訴処分となった。
しかし野村克也の息の根を止めたのはやはり沙知代のスキャンダルだった。脱税疑惑で野村は退陣した。
野村克也監督退任後、阪神タイガースオーナーである久万俊二郎阪神電鉄相談役は星野仙一中日監督を後任に据えることにした。野村がかねてより阪神に相応しいと考えていた人物である。99年、就任1年目の野村が久万に辞意を表明した時に、念頭にあったのは星野だった。しかし実際には野村も久万も想定しない形で星野は機能した。
阪神が18年ぶりの優勝を決めた直後、野村は久万と面会した。その時久万は野村に言った。「君は詰めが甘いよ」久万は野村が選手獲得のために走り回らなかったことを言っているのだ。野村の著書ではそういう話だった。久万のインタビューはもう少し微妙なことを言っている。要するに星野は根回しをしてくれた、というのだ。根回しが出来なければ、いくら巨額の資金を投じても意味はない。阪神がFA戦線で常に巨人の後塵を拝し続けたのは、根回しをしなかったからだ、というのだ。
星野の功績はそれだけではない。金本知憲外野手を迎え入れただけではなく、選手の大幅な入れ替えを行なった。坪井智哉山田勝彦伊達昌司の3選手を放出し、中村豊野口寿浩下柳剛の3選手(厳密には坪井ー野口、下柳・中村ー伊達・山田)を獲得した。当時このトレードは阪神ファンの間で激しい議論を呼んだ。将来性豊かな伊達を放出して、選手として終わりかけている下柳を獲得する、というのは、阪神の将来を無視しているのか、というものである。しかし現実には下柳は今でも阪神の投手陣の軸である。選手を見抜く目の確かさも阪神に加わったのだ。
裏方も大きく変わった。編成部の責任者にはかつて野村克也の控え捕手で、ヤクルト・阪神野村克也の元でバッテリーコーチを務めた黒田正宏を編成部長に据えた。阪神は大きく変わり始めた。今まで使わなかった金を使うようになった。「開かずの金庫」が開き始めたのだ。阪神は巨人一極集中を阻止するために手段を選ばず、勝ち組になるべく「金満球団」の向こう傷を避けず進み始めた。「一巨他党」を価値観とする渡辺恒雄に対し正面切って戦う道を阪神は選んだのである。